2012年6月4日

私訳『ヨナ書(ヨーナー)』第四章


4:1 ところが、このことは不愉快にさせた ヨーナーを 甚だ大いに
  そこで、彼は怒った2 そして、祈った 主(YHWH)にむかって。曰く;
      「ああ、(YHWH)よ、このことは、私は言っていたではありませんか、私がまだ、私の(くに)にあったときに。
        だから、私は初め逃れようとしたのです、タルシーシュへ。
         実に、私は知っていました
        -実に、あなたは、恵みと憐れみの(エル)
         怒ることおそく、かつ慈しみ豊かで、また、思い直されます を。
 3        今、(YHWH)よ、どうか、取ってください、私の(いのち)(いのち)を 私から。
  
       実に良いからです 私の死は 私の生よりも!」

 4 そこで、(YHWH)は言われた
  
           「良いことなのか、あなたが怒るのは。」
 
 5 そこで、ヨーナーは出た、町から。そして坐した、その町の東の方に。
   そして、なした 自分のために そこに 小屋を。
   そして、坐っていた その下ののうちに
     -見極めるまで、すなわち、何が、この町に なるだろうか、と。 
 6 すると、(YHWH)なる(エロヒーム)は、備えられた とうごまを。
     そして、育てられた ヨーナーの上に-それが彼の頭の上でなるように
     彼のため その(なやみ)から引き出すように。
    そして、ヨーナーは喜んだ そのとうごまを-甚だ大いなる喜びをもって。
 7 しかし、(エロヒーム)備えられた 虫を 翌日の夜明けに。そして打たせられた そのとうごまを。
    それで、それは枯れてしまった。

 8 時に、日が昇るころになると、また(エロヒーム)備えられた 焼けつくような東を。
  そして日は打った ヨーナーの頭の上を。そのため彼は衰え果て、ついには願った
    -その(いのち)が死にいたるように。そして言った。「良いのです 私の死は 私の生よりも!」

9 すると、(エロヒーム)は言われた ヨーナーにむかって。

         「良いことなのか、あなたが怒るのは-あのとうごまについて」

  そこで、彼は言った。
         「良いことなのです 私が死ぬまでに怒るのは!

10 する と、主(YHWH)は言われた。
        「あなたは、惜しんでいる あのとうごまを
          -すなわち、自分で労することなく、それを育てることもなく、
            一夜に()、一夜に滅びたものさえ。
11       まして、この私が、惜しまないでいられようか、あの大いなる町ニーヌヴェーを

           -すなわち、そこにはいるのだ、十二万人以上もの人間
               ―その右も、その左も知らないものら―と、夥しい獣とが!


©Shu-hey 2012

私訳『ヨナ書(ヨーナー)』第三章


3:1時に、(YHWH)の御言あった ヨーナーに、再び。曰く:
2立って行け、かの大いなる町、ニーヌヴェーへ。そして呼ばわれ、これにむかって、私があなたに語る宣告を。」
3 ヨーナーは立って行った、ニーヌヴェーへ (YHWH)の御どおりに。
  はたしてニーヌヴェーは、大いなる町であった 甚だしく-行きめぐるため、三日かかるほどに。
4 そしてヨーナーは 入って行った その町に。まず一日路を行きめぐりつつ 呼ばわって、曰く:
 「なお四十日。そしてニーヌヴェーは破壊される」。
5 すると、ニーヌヴェーの人々は信じた (エロヒーム)を。そして呼びかけた 断食を。
  そこで、着た 粗布を 大いなる者から小さな者までが。
6 この言葉が 届いた ニーヌヴェーの王に。すると、彼は立った その王座から。また 脱いだ その王衣を。
  そして まとった 粗布を。さらに、坐した 灰の上に。
7 また、ふれさせて言った ニーヌヴェー中に 王と大いなる者(高官)らの布告をもって。曰く;
 「人も獣も牛も羊も、何一つ味わってはならない。食べてはならない。また水も、飲んではならない
8 まといなさい 粗布を、人も、獣も。そして呼ばわりなさい(エロヒーム)にむかって ひたすらに。
   そして立ち返りなさい、めいめい その悪の道を離れて、そしてその手にある暴虐を離れて。
9 誰が 知りえよう立ち戻られ、憐れんでくださるかもしれないのだ、神が、立ち戻られるその燃える怒りを離れて。
  そうすれば、滅びない10 すると、ご覧になった 神 エロヒーム は 彼らのなすところを
   -実に、悪の道を離れて立ち返ったことを。それで、思い直された 神 エロヒームは、災いを
    -彼らになそう御語りになっていたことを-。

2012年5月29日

韻律詩篇『ヨナの詩篇』

ジュネーヴ詩篇歌51(=69)の旋律で (Molodie:EG51Straßburg1539 / Genf1551)


1 苦悩(なやみ)の淵より、主を
我呼びし。主は聞きたもう
シェオルの肚(はら)より叫ぶ
我が声に答えたもう
二度(ふたたび)まみえがたし
あなたの聖なる宮に
 否、わが祈り届く
あなたの聖なる宮に

2うねる大波(なみ)、めぐる深淵(ふち)
わが喉(のど)に至れる水
 頭(かしら)に水草絡み
衰う、わが魂(たましい)
山の根底(もとい)に下る
地、永久(とわ)に閂(かんぬき)閉ざす
 あなたの前を追われ
げに、我は主を思えり

3 否、我が神なる主は
我を引き上げたまえり!
 我が命、わが魂
穴より吐きだされし!
 ささげよ、感謝の歌(こえ)
果たせ、信実の誓い
 空しき虚ろになき
御救いは主にこそあり!


翻案:©Schu-hey 2012
旋律参照:改革教会礼拝歌集「みことばをうたう」
(エルピス、2006年)より、詩篇51



私訳『ヨナ書(ヨーナー)』第二章



 2:1 さて、(YHWH)は備えた 大いなるを、ヨーナーを呑み込ませるために。
かくしてヨーナーはあった、その魚の腹の中に 三日三晩。
2 そこでヨーナーは祈った 自分の神、(YHWH)にむかって。3 曰く;

    私は呼ばわった 苦悩(なやみ)の中から (YHWH)にむかって。すると、主は私に答えてくださった
   陰府(よみ)の肚(はら)から 私は叫び通した。すると、あなたは聞いてくださった-わたしの
4        あなたは私を投げ込まれた 海の真中の深みに。
      かくも潮流(ながれ)が私を囲み、あなたの波浪(なみ)、あなたのうねりがこぞって私の上を超えた
5              私は、言った『私は追放されてしまった あなたの目の前から。
        どうして再び見ることがあろうか、あなたの聖なる宮を』
6                 水は私をめぐった )(魂)にまで。深淵(ふち)
)
は私を囲み、水草が絡みついた 私の頭まで
7                       山々の基まで 私は下った。地、その)は 私の後ろに 常しえまで。             
              しかし、あなたは引き上げてくださったのだ、
        穴から 私の命を。私の,(YHWH)
8                   私の)(魂)が私のうちに衰えるとき、(YHWH)を 私は思い出した。  
      すると届いたのだ、あなたに 私の祈りが-あなたの聖なる宮
9             空しい虚ろをまもる者らは 自分(へ)の信実を棄て去る。
10        だが、私は、感謝のをもって 犠牲をささげよう あなたに。 
   すなわち、私の誓願(ちかい)を果たそう。御救いは主(YHWH)に。」  

11 そこで、(YHWH)は言われた、に。するとこれは吐き出した ヨーナーを 陸にむかって。



©Schu-hey 2012





2012年5月25日

私訳 『ヨナ書(ヨーナー)』 第一章

(ヘブライ語原典の語順にできるだけ従い、ごろ合わせの場所が分かるように同じ形の単語の訳し分けをしませんでした)


1:1 さて、(YHWH)の御言あった アミッタイの子ヨーナーに。曰く;


 2 立って行け、かの大いなる町、ニーヌヴェーへ。   
      
   そして呼ばわれ、彼らにむかって、
    実に、上ってきたのだ 彼らの悪が我が(まえ)


3  だが、ヨーナーは立って逃れようとした タルシーシュへ-

                         主(YHWH御顔(みまえ)を離れて

    そして下っていった ヤーフォへ。

          すると彼は見つけた タルシーシュ入るを。

    そこで彼はシェケルを与え、それから、下っていった ()の中に。

          入るためである 人々と共に タルシーシュに。


4 しかし主(YHWH放たれた 大いなる風を にむかって。 
 

   そこで、あった 大いなるが その海に。対するは砕けんばかりとなった。

5 すると船夫らは恐れ、かつ叫び-めいめい 自分の(エロヒーム)に-、

   かつ放った (つみに)を その海に-軽くするためである ()の上(の荷)を-。

 だが、ヨーナーは下りていた その荷船の尾に。

    そして、 伏し、さらに、眠り込んでいた。

6 そこで、近づいてきた 彼のところへ 船乗りのかしらが。

  そして彼に言った。
 
 「ということか、眠り込んでいるとは。

  立って呼ばわりなさい、あなたの(エロヒーム)にむかって。

  あるいは、顧みてくださるだろう そのが。そうすれば滅びはない。

7 やがて、 めいめいが言った 互いに。

 「さあ、落とそう 石籤を
  そして知ろう誰のせいか、我々へのこの災は。」

  そして、彼らは落とした 石籤を
  
  すると、落ちた 石籤は ヨーナーの上に。

8 そこで彼らは言った 彼にむかって。

  「どうか告げてくれ、我々に。

   だれのせいか、我々へのこの災いは

    何なのか、あなたのつとめは?

     またどこから あなたは来たのか?

       どこか、あなたの地(くに)は?

         またどの民からのものか、あなたは?」

9 そこで彼は言った 彼らにむかって。

   「ヒブル人だ、わたしは。

    そして主(YHWH)なる天の神を、わたしは恐れる
    
      -と陸と成された方をー。」

10 そこで人々は恐れた-大いなる恐れをもって。

  そして言った 彼にむかって。

  「これはということをなしたのか。」

   実に、人々は知った
    実に(YHWH)御顔(みまえ)から離れて、この者が入って来ていることを-

     実に、彼が告げたからである 彼らに。

11 そこで彼らは言った 彼にむかって。

  「なせばよいだろう、あなたに対して。

   そうして静まるために-我々のために。」

    実にがわきたち、またあらがるからである。

12 そこで彼は言った 彼らにむかって。

  「私を取り、そして私を放りなさいこの海にむかって。

    そうすれば、静まるだろう -あなたがたのために

    実に、この私は知っている

      実に 私のせいだ あなたがたへのこの大いなる。」


13 しかし人々は漕ぎ戻そうとした 陸にむかって。だが、できなかった。

   実にがわきたち、またあらがるからである 彼らに対して。

14 そこで、彼らは呼ばわった (YHWH)むかって そして言った。

  「ああ、(YHWH)よ、どうか滅ぼさないでください この男の(いのち)のゆえに。

    そして、与えないでください 我々に、罪なき血を。

     実に、あなたこそが、主(YHWH)よ、御心のために なされたのですから。


15 こうして、彼らはヨーナーを取り、そして 放った     にむかって。

  すると、静まった 怒りを離れて。

16 そこで人々は恐れた 大いなる恐れをもって (YHWH)を。

  そしてささげた、犠牲(ささげもの)を (YHWH)に。

   また、誓った 誓願(ちかい)を。




©Schu-hey 2012


2012年5月21日

ユダヤの小ばなし 「神はだれの祈りを聞かれたか」



「二人のユダヤ人が嘆きの壁に頭をもたげて祈っている。

ひとりはまずしい物ごいで、ひとりはたいそうな金持ちだ。

『2シェケル、かみさま、どうか2シェケルを!』と物ごいは叫び、

『200万シェケル、愛しまつる御神よ、200万シェケルを!』と金持ちは祈る。

『2シェケル、ああ、どうかかみさま、わたしに2シェケルください!』

そのうちに、金持ちの堪忍袋の緒が切れた。

『ほれ、2シェケルだ。くれてやるからさっさと立ち去れ。

もうこれ以上、御神の気を私からそらすようなことをするんでないぞ!』」




参考 Nachschlagebuch:
KÜHNER, Axel, Voller Witz und Weisheit-Jüdischer Humor und biblische Anstöße, aussaat Verlag, 3.Auflage 2009 



2012年5月8日

あれから一年・・・。Ein Jahr danach...

Gerade 1 Jahr ist vergegangen.Kurz nach der Katastrophe in Japan organisierte ich  mit einem japanischen Musiker Katsu Hiraki drei Benefizkonzerte. Mit der Hilfe von Arbeisgemeinschaft Adliswiler Pfarrämter in Adliswil Zürich und von PfarrerInnen in Spiegel und in Worb Bern (Vielen Dank!). Daran erinnere ich mich heute aufs Neue und höre ich die Stücke wieder zu, die J.S.Bach für Kinder komponiert hat, weil es heute kurz nach dem japanichen "Kinder-tag"(5.Mai) ist, wann das letzte AKW in Japan abgeschaltet hat.  Ich erinnere mich aufs Neue an die Kraft Bachs als "Metapher", die ich da durch dem Musiker gelernt habe...(Was für eine Metapher? Bitte lesen Sie den Artikel der Züri-Zeitungen.)... Das Licht für unsre Kinder würde ohne Atomstrohm glänzen. Ja. So höre ich betend Bach zu...!   

ちょうど一年前、日本の大災害のすぐ後に、わたしは日本人音楽家平木氏と一緒に、「アドリスヴィル近隣司牧会」や、チューリヒ、ベルンの牧師先生らの助けによって、チャリティー・コンサートを企画しました。そのことを、今、日本における最後の原子力発電所が停止した「子供の日」を経て、改めて思い起し、バッハが子供のために作曲した曲に耳を傾けているところです。私は思い起しています、バッハが「メタファー」としていかに力強かったかを!(何の「メタファー」?どうぞ下の新聞記事をご覧ください)。わたしたちの子供たちのための光は、原子力による電気なしにも輝くでしょう。そう、そのように祈りながら、わたしはバッハを聴いています。

Katsunobu Hiraki spielt Bach für Japans Opfer

平木克宣氏、日本人犠牲者のためにバッハを奏する


Die «Arbeitsgemeinschaft Adliswiler Pfarrämter» (AGAP), lanciert auf Initiative von zwei Japanern ein Benefizkonzert.

≪アドリスヴィル近隣司牧会(AGAP)≫、二人の日本人によって自発的に計画されたチャリティー・コンサートを後押し

Nicole Isele ニコール・イゼーレ

Angefangen hatte alles mit einer ­E-Mail. Der japanische Musiker ­Katsunobu Hiraki schrieb an seinen Freund Shuhei Oishi, weil er etwas tun wollte. Seine Idee – ein Benefizkonzert für die Opfer der Katastrophe in Japan. Der Theologe Oi­shi, der gerade vor vier Wochen nach Adliswil gezogen war, zögerte nicht lange und ging auf Pfarrer Achim Kuhn zu. Mit Erfolg – am kommenden Montag um 20 Uhr lädt die «AGAP» zum Klavierkonzert ­Katsunobu Hirakis.
Es ist bereits das dritte Wohl­tätigkeitskonzert von Hiraki, und er ist weiterhin auf der Suche nach Plattformen für ähnliche Veranstaltungen.
Der Aufwand in Adliswil wird ­bewusst so klein wie möglich gehalten, um einen maximalen Gewinn zu erzielen. «Wir arbeiten, mit dem, was uns zur Verfügung steht, sym­bolisch für die Situation in Japan», erklärt die Kirchenpflegerin Andrea Margot. Deshalb wird Katsunobu ­Hiraki auf dem alten Kirchenklavier spielen, das in der reformierten Kirche steht. Zudem gibt es viele Hel­fer. Das Benefizkonzert der «Evan­gelisch-reformierten Kirchgemeinde Adliswil» wird zusammen mit der «Römisch-katholischen Pfarrei Adliswil» und der «Evangelisch-methodistischen Kirchgemeinde Adliswil» organisiert. Alle drei zusammen bilden die «AGAP» als Trägerin des Konzertes.

はじまりは一通のEメールだった。日本人音楽家平木克宣氏は友人である大石周平氏に書き送った、「したいことがある」と。彼のしたいこと―それは、日本の大災害の犠牲者のためのチャリティーコンサートである。ちょうど四週間前にアドリスヴィルに越してきたばかりだった神学徒大石氏は、迷わずアヒム・クーン牧師に連絡を取ることにする。うまくいった―次週月曜日20時より、≪AGAP≫が平木氏のピアノ・コンサートの開催を引き受けたのだ。
これはすでに、平木氏によるチャリティコンサートとして三度めのもの。彼は、さらに引き続き、同じように演奏する場所を求めている。
アドリスヴィルでは、最大限の募金額を得るため、開催費用をできるだけ少なくしようとしている。「与えられたものによって生を営む。これは、日本のおかれた状況にとって象徴的です」と、教会世話人アンドレア・マルゴトは説明する。それゆえ、平木克宣氏は改革教会にもともとあったピアノを演奏する予定だ。また、さらにたくさんの助けがある。≪アドリスヴィル福音主義―改革派教会≫が、≪ローマ・カトリック教会アドリスヴィル教区≫や、≪アドリスヴィル福音主義―メソジスト教会≫と共に企画準備を進める。これら三つの教会より、コンサートの(経済的な)担い手である≪AGAP≫はなる。

Bach als Metapher メタファーとしてのバッハ
Die Auswahl der Musik ist von Hi­raki wohl durchdacht. Bei den 15 Inventionen und den 15 Sinfonien handelt es sich um Passagen aus Johann ­Sebastian Bachs Übungsbüchlein für seinen Sohn. Am 22. Januar 1722 begann Bach mit der Arbeit an seinem Lehrwerk für Tasteninstrumente. Das« Clavierbüchlein vor Wil­helm Friedemann Bach» wurde der Nachwelt zu einem unschätzbaren Beispiel seiner pädagogischen Methode. Es beginnt mit musikalischen Grundbegriffen wie Notenbezeichnung, Schlüssel und Applicatio (Fingersatz) sowie einer wertvollen Anleitung zur Ausführung diverser Ornamente. Den Hauptteil bildet eine Sammlung kleiner Stücke. Es geht darum, das Einfache facettenreich und kunstvoll zu inszenieren. Das meint zunächst die genaue Befolgung dessen, was die Noten vor­geben. In einem nächsten Schritt ­sollen die Tonabfolgen in Symbiose als Werk begriffen werden, um sie schliesslich als Kunstwerk wieder­zugeben.Dies kann nicht nur als Anleitung ­
für Bachs «Clavierbüchlein» verstanden werden. «Die Heraus­forde­-
rung der japanischen Bevölkerung besteht darin, mit dem Wenigen noch Verbliebenen den Alltag ­zu meistern, um Schritt für Schritt ins Leben zurückzufinden, auch wenn es niemals mehr so sein wird wie vor der Katastrophe», erklärt Shu­hei Oishi.
Katsunobu Hiraki betont, dass wir alle von der Katastrophe betroffen seien: «Die Natur reagiert auf das politische und ökologische Weltgeschehen und ruft den Menschen auf, sich neu zu besinnen und das Wesentliche nicht aus den Augen zu verlieren.»

すべての曲目は平木氏によって選ばれたもの。15のインヴェンションと15のシンフォニーは、とりもなおさず、ヨハン・セバスティアン・バッハによる、彼の息子のための小練習曲集からのものだ。1722年1月22日、バッハは鍵盤楽器の教材作成に取り組み始めている。≪ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハへのピアノ小曲集≫は、バッハの教育論を伝える大変貴重な資料である。それは、楽譜表記、音部記号やその適用(運指法)などの音楽基礎概念、および様々な装飾をつけて演奏するための価値ある手引きに始まる。主要部分は、ひとつの小作品集である。そのシンプルな作品を、切り子のように多面的に、芸術性に富んで演奏することが課題だ。そのためには、何よりもまず、正確に、楽譜が示すものに厳密であることだ。続いてのステップは、それらの音の連なりが、ついに一つの芸術作品として描出されるように、密接な共生関係におかれること。このことは、ただバッハの≪ピアノ小曲集≫についての手引きに留まるものではない。≪日本に住んでいる人々が直面しているのは、日常への挑戦です。少しずつ生きた生を取りもどすためには、たとえ大災害というこれまでにない状況にあっても、なお残されている僅かのもので、日常を克服していくことです≫と大石周平氏は語る。
平木克宣氏は、私たちはだれもがこの災害に直面しているのではないかと強調する。≪自然は、世界で起こっている政治的な出来事や生態系の変化に反応し、人間に向けて呼びかけています、新しく思考し、本質に目をそむけてしまわないようにと。≫

Neuanfang in Adliswil アドリスヴィルにおける新たなはじまり
«Für uns als Kirche ist es wichtig, den vielen hilfsbereiten und berührten Menschen eine Plattform zu geben, um mit ihren Emotionen umzugehen. Das Konzert bietet Raum, sich mit der Situation auseinanderzusetzen und gleichzeitig zu helfen», erklärt Andrea Margot. Neben dem musikalischen Teil wird es auch ­Ansprachen geben, unter anderen von Shuhei Oishi, der seine Familie und Freunde in Japan weiss....(abgekürzt)..

≪様々に支援領域を広げ、情熱をもって駆け寄ってくる人々に活動の基盤を提供することは、わたしたちにとって、教会として重要なことです。このコンサートは、現実の問題に取り組み、同時に支援活動をするための場を人々に差し出すものです≫とアンドレア・マルゴット氏は語る。演奏に添えて、日本に家族や知人のある大石周平氏などによる、メッセージが語られることになっている。(以下省略)

Benefizkonzert zugunsten der Opfer der Naturkatastrophe in Japan und deren atomaren Folgebedrohung. Montag, 9. Mai, 2011 20 Uhr, reformierte Kirche Adlis­wil. 

http://www.lokalinfo.ch/zuerich-2/28148-katsunobu-hiraki-spielt-bach-fuer-japans-opfer.html


Katsu Hiraki, der japanische Musiker in Zürich


↓anderer Zeitungsartikel (Zürisee-Zeitung 5. Mai 2011)↓ 


Bach Inventionen & Sinfonien. Gustav Leonhardt. 


2012年4月21日

いもうとの結婚式によせて


Naomi entreating Ruth and Orpah
to return to the land of Moab by 
William Blake, 1795
「…あなたの神はわたしの神
…ただ死のみが、わたしたちを別つのです。」 

今月末、わたしの妹が結婚します。
留学中で帰国できないわたしですが、
あたらしい歩みを始める二人に、
心からの思いを込めて、祈りを込めて、
言葉のプレゼントを届けたいと思いました。

そこで、フラウミュンスター教会の
敬愛するN・P牧師にお願いし、
先日スイスの友人の結婚式で語られ、
感銘をうけた説教原稿をいただき、
わたしが翻訳して新婦と新郎に
お贈りするための許可を得ました。
メッセージの核の部分は、二人にも
相応しいと思ったからです。

既に同教会ホームページ(以下にアドレス)
には、日本語の説教も含めてのせていただいていますが、妹には、このページを通して
お祝いの言葉を、説教と共に、
お届けしたいと思います。



親愛なるC・O、敬愛するT・H

おめでとう!お二人のご結婚の報せを心から喜んでいます。

富めるときも、病めるときも、死があなたたちを別つまで
ふたりが主の御前に、深い信頼と愛情とをもって、
ともに笑い、ともに涙し、生きてゆかれますように。

心から祈っています。

2012年4月30日 兄より



ルツ記116節以下*


…わたしはあなたの行く所へ行き、あなたの宿る所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死ぬ所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。主がいつでもわたしに御心のままになしてくださるように。ただ死のみが、わたしたちを別つのです。
*口語訳とチューリヒ訳に基づいたもの

親愛なるA・H、敬愛する、S・D
そして結婚式に集まった愛するみなさん

「あなたの行くところであれば、そこへわたしも行きます」…いかにも美しく、婚礼の場になんとも相応しい聖句ではありませんか!「…そしてあなたが宿るところ、そこにわたしも宿ります…」これも、結婚の日に合うと言ってよいでしょう。いや何よりも、お二人は今、[最後の句に共感して]こう考えておられるかもしれません:ああ、先生は、思いつきの聖書箇所を選ぶよりは、古典的に結婚式説教に相応しいとされてきた「ただ死だけがわたしたちを別つ」という有名な言葉を改めてわたしたちにも選んでくださったのだ、と。(一字一句の表現には幾らか異なることがあったとしても、この言葉と同じ意味内容をもつ約束を、二人も既にお互いに交わし合っていたことでしょうから、その共感は当然です!)しかし、注意していただきたいことがあります。それは、この聖句が、ひろく多彩な意味を持ち、驚くほどに複合的なものなので、軽やかな結婚の喜びをただ単純に表すものにはとどまらない、ということです。

まず何よりわたしたちにとって驚きなのは、この言葉が結婚ではなく、飢饉の困窮の文脈で語られているということです。さらに意外なことには、ここではこの言葉が、女性によって、女性に対して(!)語られています。

敬愛するA・H、親愛なるS・D、

そう、これは、困難な時代の、信頼に満ちた連帯についての、心揺さぶる物語なのです
―その連帯は、第一に女性たちのものでしたが、聖句は、心通わせ、共に生き、共に歩もうとするさまざまな民、さまざまな信条の人々を視野においてもいますー。そこで、わたしは、こう考えたのです。このことがお二人の心にとまるなら、共に歩むあなたたちの道の本質的な要素として受け止められるに違いない、と。

ナオミの物語の経緯をお話しましょう。ナオミは、飢饉から逃れるために、夫エリメレクと二人の息子と共に、ベツレヘムから異邦のモアブに移りました。けれども、まもなく夫は死に、ルツとオルファというモアブ人女性と結婚していた二人の息子もそれぞれ、新婚のよろこびも束の間、ともに世を去ってしまいます。
―こうしてナオミは、二人の義理の娘たちとともに残されてしまいました。彼女は、ベツレヘムで再び食糧を得ることができるようになったらしいと聞き、帰郷する手はずを整えます。
―それから、イスラエルへの帰郷の途上、ナオミは、自分についてきた二人のモアブ人の娘たちに、自らの家族のもとへ帰るようにと説得します。「イスラエルにはあなたたちの未来はありませんよ!誰がこの地であなたたちをめとってくれるでしょう?わたしはもう年が年だから、あなたたちのために息子を出産することなどかないません」(―いや万が一、彼女がなお出産のできる年だったとして、生まれたての子が18年後に結婚式の場に立つまで待つというのは、いかにも奇跡のような考えだといわなければなりません…―)。
―かくしてオルファは、涙ながらに姑のナオミに口づけし、モアブへの帰路につきました。ところが、一方のルツはナオミのもとに留まると言ってきかないものですから、ナオミは強いて勧めて言います。「あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへと帰って行きました。あなたも同じように引き返しなさい」。そこで、ルツが言うのが、あの言葉:

「あなたを見捨てよなどと、わたしに強いないでください。
わたしはあなたの行く所へ行き、あなたの宿る所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。
あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。
主がいつでもわたしに御心のままになしてくださるように。ただ死のみが、わたしたちを別つのです。」

なんと心揺さぶる連帯でしょうか―困難極まるときに、なんと愛の深く、心の堅実なことでしょう!二人は聖書的な意味における愛によって向き合っています。深みにおいて通じ、冷めた感情にも激情にも、情緒的な感傷にも陥らず、かえってこれを乗り超えています。(たしかに、後ほどナオミはその賢い助言によって、ルツがボアズという男性を―あらゆる予想に反して―夫として見出すことができるよう取り計らうことになるのです―ハッピー・エンドといったところです―、その意味では、やはりこの聖書箇所はなお幾許か、古典的な結婚との関連もあると言えなくはありませんが・・。)

さて以上のことを踏まえ、わたしは、聖書が今、あなたたちお二人に[以下の2点を確認するよう]語りかけていると考えたのです。すなわち第一に、あなたたち自身、実際に異邦で出逢って愛することを覚えたということ。あなたたち二人は、まさにモアブの地というのではありませんでしたが、そこからそれほど離れてもいない近東、トルコ、ペルシャへの旅を共にしたことがきっかけで、互いにそれぞれの人柄、生き方に魅かれるようになりました。人と人とが異なるということは、国が異なるということと同様、実はあなたたちをおびやかすどころか、かえって一つに結びつけるものだと、あなたたちはそのとき知ったのです。―愛は(そしてまた神の愛は)境界や限界に基づいて生きるものではない―これこそ、この物語の脈絡です!

さて、ナオミとモアブ人の義娘(むすめ)ルツのこの物語は、エズラとネヘミアの時代に語られたものです―すなわち、それは、バビロン捕囚後、自らのアイデンティティをめぐる懸念が生じたために、イスラエル人以外の女性との結婚が禁じられた時代です。

注意深く受け止めてください。モアブ人(!)女性ルツによる、次のような心動かす信頼、愛、連帯の言葉は、他でもない、この困窮の時代に語られたものなのです。

「わたしは…あなたの宿る所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。

親愛なるA・H、ここで、聖書があなたに呼び掛ける第二の点を確認しましょう。これはわたしがあなたから感銘を受けてきたことでもあります―すなわち、あなたのその率直さ、真面目さについてです。あなたはその開かれてかつ誠実な性格によって、たとえば他の諸宗教との境界線を単純に引いてしまうことをせず、むしろ対話を求め、他者を理解しようと努めてきました。―しかもその求めと努めが、なんでも適当に吸い込む内的な真空(バキューム)状態によってではなく、キリストを信じる深いひとつの信仰に基づいて出てくるのです。

親愛なるS・D、わたしはあなたからも同じように感銘を受けてきました。数学者にして神学徒であるあなたの、問いに取り組む情熱と、実存に向き合う熱情についてです。たとえば慣習だからという答えが、あなたを満足させることは決してありません。

「…わたしはあなたの行く所へ行き、あなたの宿る所に宿ります。」

あなたたちに、あなたたちの結婚生活に、あなたたちのこれからの共なる歩みに、なんとも相応しく、すばらしい聖書の言葉ではありませんか。

もちろん、S・Dはイスラエル人ではなく、A・Hはモアブ人ではありません。しかし、この聖書の語りかけをきっかけに、宗教上別の背景をもつ家庭に由来するあなたたち二人が、実際どのように異なる感性と、どのように違った考え方や着想を持っているかについて、ここで一緒に触れることは、すばらしいことです。歩みを共にし行こうとすれば、その道にあっては、求めが生じ、時には[次の言葉を巡って、]生産的な格闘(ファイト)をしなければならないこともきっとあるでしょう。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」。そうです、実際のところあなたたち二人だけではない、二つの家[]もまた、ここで共に寄り添おうとしているのです。もちろん、異なる二通りの神がいるというのではありません。けれども二つの個が、神の前にあるいは神と共に、実存をかけて向き合うのです。そこには、従って、細やかに心身を尽くす生が待っています。そのようにしてあなたたちはその道を行くのです。

ナオミが、ベツレヘムの出身であり、その地にルツが共に帰って行くということは、決して偶然のことではありません。なぜならこれは、ひとつの神の物語(れきし)、真理と連帯と愛の歴史(ものがたり)として語られていることだからです。ベツレヘム!そこにはイエスの物語があります。それは、あなたたちに大いなる深みをもって語りかけ、あなたたちがすでに知っており、またそれに生きているかの歴史です。愛は、all you need is love(愛だけが君に必要な全て)と歌われる以上のもの。このあなたたちの愛は、ベツレヘムに―イエスがお生まれになったあの地に!―深い根を張っているものなのです。ルツがイエスの系統樹に(ダビデの曾祖母として)見出されるのは、まさにこのためだったのです。

あなたたちの愛は、ベツレヘムにその(ルーツ)を持っています。というのも、神の愛をその深みにおいて説かれたまことの人、イエスがそこにお生まれになり、その愛が事実生きた場所であるからです。この人は、ご存知でした。愛には、担うべきもの、耐え忍ぶべきものが伴い、真理が伴い、さらには、そう、犠牲をも伴わなければならないということを。―その生命が捧げられることによって、もっと大きな生命が可能になるような、あの犠牲です。あなたの神はわたしの神」―神が、人を、ただ一人だけ御もとにおき、重んじ、愛するなどということはありえません。It takes at least two..少なくとも、二人…(わたしの名において、二人、または三人が集められるところ!)です。ですから、あなたたちにあっても、一緒であるときに、このことはもっとよく果たされるでしょう。

親愛なるS・D、敬愛するA・H、あなたたちの結婚生活のために、なんと美しいプランが与えられていることでしょう。それは、境ではなく連帯と寛容の歩みです―しかもあたりさわりのない、無難な(それぞれの流儀(ファッション)に従った)寛容というのでは決してなく、愛から出て愛を見出す開かれた実直さの道…また、ただなんとなく従う家族のならわしによってというのでもなく、富める時も、病める時も変わらない深い熱情と真実によって歩む道です。そして、もう二人は受け止めておられるでしょうが、おそらくは最初にだれもが抱く戸惑いやためらいを共に超えて歩みゆく道です。ナオミとルツ、そしてボアズの歴史は、あなたたちの物語です。なぜなら、そこでは、自立した、大胆な人間、誠実でありかつファイトのある人間について語られているからです。そして、心の最も深いところで、神の導きにどっぷり信頼しており、そのために多くの人々の祝福[の基]となるような人について、語られているからです。

そうです、ここで感謝を申し上げることがゆるされるでしょうか。あなたたちは、すでに、多くの人々の祝福となっています。すでに、このフラウミュンスターにおいて、あなたたちは祝福の源となってきたのです。あなたたちの愛は他の人々に光のように放たれ、この厳かで古いフラウミュンスター教会にあって、あなたたちによって新しいことが始まりました。J(ユング)フラウミュンスターの若い集まりです。そこで、あなたたちは他の若い人たちと心を通わせてきました。あなたたちの結婚生活が、そのような輝きを、さらに多く放つものとなりますように。神の祝福があなたたちに増し加えられることによって、あなたたちがいよいよ他の人々の祝福となっていきますように…。

アーメン。

2012年3月24日フラウミュンスター教会 
説教 N・P牧師
訳  Schu-hey


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