迫害を受けた亡命者たちは、
多くの場合に、手に職をもった。
そうしなければ、生きられなかったからだ。
フランスから流れ、ジュネーヴを経てスイスの時計産業を発展させた
新教徒ユグノーたちは有名な一例だ。
ユグノー十字:十字架より聖霊を象徴する鳩がくだる。 亡命者ユグノーたちのシンボルだが、 ワルドー派が改革派に組み入れられると この前宗教改革的運動の伝統をもつ人々にとっても 大事なシンボルとなった。 |
イタリアはピエモンテの谷に逃れ、洞窟の中の「岩の教会」で
Lux Lucet in Tenebris 暗闇の中に光が輝いている
という希望を心に灯して生きた
ワルドー派の町を訪れたことがあるが、
そこには、やはり、
すばらしい手工芸品のお店が数々あった。
エメンタールの友人宅には、
その祖父に当たる方が彫り、つくったという家具があり、
またその祖母に当たる方が縫い、つくったというカーテンや、衣類がある。
彼らは、洗礼派の末裔。
前回も触れた宗教改革時代の迫害のため、
チューリヒからベルン州へ逃れてきた信心深い人々が、
その手で代々伝えてきた歴史がここにある。
シュネーヴェルカー家に残された「洗礼派の手」 |
上の写真は、その美しい彫刻作品の一例だ。
チューリヒに家具を一切もたずに引越してきた
わたしたちのために、貸してくださった二脚の椅子。
はからずも、これらの椅子は、リマト河畔のチューリヒから、
エンメ川沿いに逃れた人々の記憶をたもちつつ
もう一度、チューリヒに帰って来た、ということになる。
***
さて、この6月、わたしは日本から訪ねてきた両親といっしょに、
このエメンタール地方の洗礼派の足跡をたどる小さな旅をする機会をもった。
幸い、スミスヴァルトという町のホームページから、
洗礼派の旅のガイドとなる冊子を利用することができる。
これに従い、10のポイントを歩いてめぐったのだが、
今回、その中から、二つのポイントだけ振り返ることとしたい。
すなわち、
1.ハズレバッハ邸のチューリヒ聖書
と
2.トラクセルヴァルト城の監獄
である。
次回具体的に書きたいと思う。