4:1 ところが、このことは不愉快にさせた ヨーナーを 甚だ大いに。
そこで、彼は怒った。2 そして、祈った 主(YHWH)にむかって。曰く;
「ああ、主(YHWH)よ、このことは、私は言っていたではありませんか、私がまだ、私の地にあったときに。
だから、私は初め逃れようとしたのです、タルシーシュへ。
実に、私は知っていました
-実に、あなたは、恵みと憐れみの神、
怒ることおそく、かつ慈しみ豊かで、また、思い直されます 災を。
3 今、主(YHWH)よ、どうか、取ってください、私の喉(いのち)を 私から。
実に、良いからです 私の死は 私の生よりも!」
4 そこで、主(YHWH)は言われた
「良いことなのか、あなたが怒るのは。」
5 そこで、ヨーナーは出た、町から。そして坐した、その町の東の方に。
そして、なした 自分のために そこに 小屋を。
そして、坐っていた その下の陰のうちに
-見極めるまで、すなわち、何が、この町に なるだろうか、と。
6 すると、主(YHWH)なる神は、備えられた とうごまを。
そして、育てられた ヨーナーの上に-それが彼の頭の上で陰となるように-
彼のため その災から引き出すように。
そして、ヨーナーは喜んだ そのとうごまを-甚だ大いなる喜びをもって。
7 しかし、神は備えられた 虫を 翌日の夜明けに。そして打たせられた そのとうごまを。
それで、それは枯れてしまった。
8 時に、日が昇るころになると、また神は備えられた 焼けつくような東風を。
そして日は打った ヨーナーの頭の上を。そのため彼は衰え果て、ついには願った
-その喉が死にいたるように。そして言った。「良いのです 私の死は 私の生よりも!」
9 すると、神は言われた ヨーナーにむかって。
「良いことなのか、あなたが怒るのは-あのとうごまについて」
そこで、彼は言った。
「良いことなのです 私が死ぬまでに怒るのは!」
10 する と、主(YHWH)は言われた。
「あなたは、惜しんでいる あのとうごまを
-すなわち、自分で労することなく、それを育てることもなく、
一夜に生り、一夜に滅びたものさえ。
11 まして、この私が、惜しまないでいられようか、あの大いなる町ニーヌヴェーを
-すなわち、そこにはいるのだ、十二万人以上もの人間
―その右も、その左も知らないものら―と、夥しい獣とが!
©Shu-hey 2012
©Shu-hey 2012
9 件のコメント:
こんにちは、久しぶりです。
第4章に出てくる植物なんですが、トウゴマ、に疑義を持っています。拙訳をご覧いただけると嬉しいのですが。
godlitespeedさん、お久しぶりです。コメント、ありがとうございます。ラテン語のhederaを「木蔦(きづた)ivy」と訳し、とうごまは背丈2メートルほどにしかならず文脈に合わないとのご指摘、考えさせられました。
植物に詳しくないわたしは、翻訳にあたり、専門家の本を参考にしました。Michael Zoharyという中東(ヘブライ大学におられました)の植物学者の「聖書の植物(Plants of the Bible)」という本です。
この本では、ヘブライ語のkikayonがヨナ書にしか登場しないことが、古代より翻訳の多様性を生んできたことを認め、ギリシア語のkolucuntiや、ウルガタのhederaという訳を紹介しますが、最終的には、タルムードの解釈も、ルターやチューリヒ訳を始め、様々な翻訳も採用しているように、Rizinus/Ricinus communis L, すなわち、「とうごま」の特徴が最も聖書の記述に合っていると結論づけています。
問題となさっている高さについては、この本では、4メートルか、それ以上に達する、とされます(信頼性はまちまちかとは思いますが、英語やドイツ語のウィキペディアでも、かなりの高さになることが解説されています)。
いずれにせよ、ヘブライ語から訳した私の訳と、ラテン語から訳されたgodlitespeedさんの訳は、異なってしかるべきだろうと存じます。
いかがでしょうか。
これからも、いろいろとご指摘、よろしくお願いいたします。
早速お返事を頂き恐縮です。私が蔦に注目する理由はヨナーが自分で小屋を建てたことです。神がその上に影を落とさせるようにするなら、トウゴマが樹木化するよりも、小屋に蔦が伸びる方が情景として合っているように感じたからです。
まったく少ししか登場しないヘブライ語には、皆さん苦労しますよね。様々な翻訳の永い歴史を教えて頂けたコメントに感謝申し上げます。
まだ日本へは帰って来られないのですか?
ご健勝であられ、研究にますます邁進されますよう、多くの実りがありますよう、お祈り申し上げます。
ありがとうございます。
翻訳にあたって、文脈を大事にし、情景が目に浮かぶまで理解を深めてから、言葉を選んでいかれるその姿勢に、学ばされます。
たしかに、小屋に蔦がからみ伸びる様は、この物語の情景を活き活きと描いてみせてくれるように感じます。一つの可能性として、残しておきたいと思います。
その上で、決定打がどの訳語にもない場合には、暫定的にでも、「伝統」に従っておくことが穏健だと思いますので、ヘブライ語の訳語としては、わたしはこのまま「とうごま」の語を残しておこうと思います。
ラテン語からの翻訳の歴史とその伝統は、また別の問題だろうと思いますので、たとえば英語圏や、ドイツ語圏、その他で、ラテン語を原典とした聖書翻訳がどのような訳語を選んでいるかを御調べになる必要がありそうです。わたしの能力を超えていそうなので、もし、なにかわかったら教えていただけると幸いです。
日本へは、まだ数年帰りませんが、いつか、お会いできるといいですね。
よい一日をお過ごしください。
しつこくすみません。
ヘブライ語にキクァヨーンの英訳で瓢箪とかウリ科の植物もある事を知りました。
そうするとだいぶ蔦と近づきますね。
昨日アップされた中の写本はラテン語のようですね。
読ませて頂きました。
ラテン語の写本は字の癖を理解するまで解読が難しいです。
ありがとうございます。
そうですか、具体的に、どんな英訳がつけられていましたか?参考にさせていただきます。
はい、先日アップしたものは1130年のラテン語テクストです。フェリックとレグラについての最古の言及のある文献だと言われています。
抜粋なので、読むのが大変だったのではないでしょうか。
英訳の単語は gourd です。日本語だとウリとか瓢箪とかでしょうか。
あの字体は、島の文字(Insular script)と言われるものでしょうか。読みづらいんですよ。
ありがとうございました!
そうですか、あの美しい字体は、島の文字というのですね。insular script について、ちょっと調べてみましたが、ゲール文字(Gaelic script)という別名もあると知りました。アイルランド辺りからやってきた文体だということでしょうか。
ザンクト・ガレンで聖人とされるガルスのようなキリスト教伝道者もまた、アイルランド出身だったことを思い起こします。彼の建てた小屋が、世界遺産の修道院の基となったと言われます。
チューリヒの聖人フェリクスとレグラについて伝える最古の写本のひとつ・ふたつ(あるいはそれ以上?)は、このザンクト・ガレン修道院の図書館で見られるようですから、きっと、歴史的な関係があるのではないでしょうか??
アンシャル文字についての面白い話を始めて知りました。12世紀の初め頃からイングランドとヨーロッパの確執?が在ったりアイルランドや島々への統治が確立していったのでしょうか。十字軍がこの頃から始まるのですから、大陸と英領の間の交流も強く在ったことでしょうね。
根が理系なもので歴史はトンと弱く、勉強になりました。
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