2011年12月19日

クリスマスのめぐみ、感謝の祈り Gnade, Grazie, Dankbarkeit


「クリスマス(Christmas)」 の
             「恵み(Charis)」は
                        「 賜物(Charisma)」(ギリシャ語)。

  つまり、その「恵み(Gnade)」は 
                            「無料(Gratis)」の
                               「麗しい(graziös/ schön)」
                                  「 贈りもの(Gabe)」(ラテン語、ドイツ語)。

   だから、この日に相応しいものは、「感謝の祈り(Grazias)」:

                   神の「数えきれない (beaucoup/ very mach)
                               「慈しみ(mercy)」への
                                        「幾度もの(vielmal)」
                                             「どうもありがとう
                                                    (Merci beaucoup フランス語, 
                                                         Merci vielmal スイス・ドイツ語, 
                                                             Danke schön ドイツ語 )」。

以上、本日フラウミュンスターで聞いた素敵な待降節第四週の説教の要約として・・・
(2011年12月18日)


みなさま、喜ばしい聖夜(Frohe Weih(e)-Nachten)をお迎えください!

2011年11月29日

アルテュール・オネゲル 「ダビデ王」 ―1 構成 Arthur Honegger "König David (Le Roi David)" 1



2009年にチューリヒで最も有名なコンサートホールであるトーン・ハレで聴いた、オネゲルの「ダビデ王」が忘れられません。(チューリヒ・バッハ・コアー、バーゼル・シンフォニエッタ、指揮ペーター・アイデンベンツ)

聖書と欧州の劇の伝統が融合したような詩人レネ・モラーのテクストは、オネゲルの音楽にのせてオリジナルのフランス語でなくドイツ語で歌われ演ぜられるとき、また独特な力を持って私をはじめ、集まった全ての聴衆の心をとらえました。

2009年からスイスに住み始めた私は、その頃、なんでもドイツ語学習のテキストにすることを考えていました。彼の肖像が20スイスフラン紙幣に描かれ、スイス人に愛されてきたことは知っていましたが、彼の作品を聴いたのはこれが初めてで、それで印象は一際大きく、私はすぐに、これを翻訳する楽しい趣味に没頭することができました。

また、聖書学で「ダビデの最後の詩」(旧約聖書サムエル記下23章)についての論文を書くためにチューリヒにやってきた私にとって、論文以外で、ちょっと視点を変えてリラックスして取り組むためには、このテキストは最適だったのです。

これから、当時翻訳したものを、幕ごとにブログに記録しておきたいと思います(*←断念:コメント1参照)。なお、これらは、あくまでもフランス語詩からではなく、ドイツ語詩からの訳ですのでご了承ください。

* * *

まずは、構成から これは、ウィキベディアをそのまま引用させていただきます(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%87%E7%8E%8B_(%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%82%B2%E3%83%AB))。


《第一部》
1.序奏
2.羊飼いダヴィデの歌
羊飼いの少年ダヴィデは、預言者サムエルから油を注がれ、神の恩寵を受ける存在となる。
3.詩篇「主を讃えよ」~ファンファーレとゴリアテの登場
少年ダヴィデはペリシテ人の巨人ゴリアテを倒す。
4.勝利の歌
5.行列
ペリシテ人を破ったイスラエル軍は凱旋し、イスラエルの王サウルはダヴィデに娘を与える。しかし、ダヴィデの人気に嫉妬したサウルはダヴィデを殺そうと企む。
6.詩篇「何も恐れるな」
サウル王から命を狙われたダヴィデは出奔し、荒野をさすらう。
7.詩篇「ああ!私に鳩の翼があれば」
8.預言者たちの頌歌
9.詩篇「神よ、我を憐れみ給え」
サウルが率いるイスラエルは再びペリシテ人と戦になるが敗色が濃厚となる。
10.サウルの陣営
11.詩篇「主は私の無量の光」
イスラエルの人々は神に祈るが、神からの答えはない。
12.まじない
巫女によって呼び出された預言者サムエルの霊は、サウル王が倒されることを告げる。窮したサウル王はギルボアの丘で自らの命を絶つ。
13.ペリシテ人の行進
14.ギルボアの嘆き
ダヴィデは、死んだサウル王や、親友であったサウルの息子ヨナタンを思い嘆き悲しむ。
《第2部》
ダヴィデがイスラエルの王となり、エルサレムが都となる。
15.祭りの頌歌
16.聖櫃の前の踊り
聖櫃をエルサレムに運ぶ行列が丘を上ってくる。ダヴィデは聖櫃の前で踊る。天使が現れてダヴィデの子孫に救世主があらわれることを予言する。天使たちのハレルヤの合唱。
《第3部》
17.賛美の歌「私の心から歌がほとばしる」
18.はしための歌
ダヴィデ王は部下ウリヤの妻バテシバの水浴する姿に欲情し、ウリヤを殺してバテシバを手に入れる。ダヴィデの思い上がりに神の罰がくだる。
19.懺悔の詩篇
20.詩篇「私は罪の内にはらまれ」
21.詩篇「私は山の方へと目をあげる」
22.エフライムの歌
反乱を起こした王子アブサロムはエフライムの森で討たれ、その首級がダヴィデのもとに届けられる。ダヴィデは息子を悼む。
23.ヘブライ人たちの行進
反乱軍を討った王の軍隊の行進。
24.詩篇「主よ、優しい愛であなたを愛します」
国に平和が戻ったが、再びダヴィデは慢心し、神の罰を受ける。この時の神の凄まじい怒りは、山々が崩れ落ちるほどであった。
25.詩篇
老いたダヴィデ王はエルサレムに荘厳な神殿を建築することを約束し、バテシバとの間に生まれた子、ソロモンに位を譲ることにする。
26.ソロモンの戴冠式
27.ダヴィデの死
ダヴィデは完成した神殿を眺め、神に感謝しつつ息を引き取る。再び、天使たちのハレルヤの声が響き渡る。


2011年11月23日

GANDHI ガンジー



Heute habe ich einen DVD-Film gesehender "GANDHI" heißt.
Es gab verschiedene eindrucksvolle Szenen und nachdrückliche Wörter,
die tatsächlich aus der Geschichte M.Gandhis stammen.
Unter anderem beherzige ich folgende Botschaften Gandhis wieder aufs Neue.


"Auge um Auge führt nur dazudass die ganze Welt erblindet."
"Gerechtigkeit bleibt Gerechtigkeit!"

Was für Filme habt ihr/haben Sie neulich geschaut?
Gab es da treffende Bemerkungen?
Wenn jabitte stelle mal sie hier mal vor!

今日、『ガンジー』という映画のDVDを観ました。
M.ガンジーの実際の歴史に由来するたくさんの印象的なシーン、
心に残る言葉がありました。何よりガンジーの以下のメッセージを
改めて心に留めました。


「目には目を、では全世界を盲目にするだけだ」
「正義は正義に留まる/正義は正義のままである」

皆さんはどんな映画を最近観ましたか?
何か心を打つ名言はありましたか?
もしあれば、どうぞここに紹介してください!

出席教会20周年にむけて。

以下は、今出席しているU教会への手紙です。
実は、教会に届けるべきかどうかまだ迷っています。


親愛なるU教会のみなさまへ    
―――――――――――――――――――――――――――――――――
教会20周年に向けて―回顧と展望へのうながし

二十周年、もうすぐ!
先日、スイス唯一の日本語礼拝を行うこの主の教会が、あと数年で二十周年を迎えることになると伺いました。嬉しいですね!この群れに会員として属さぬ私ですが、礼拝の交わりに加えられ特別な愛情を覚えるものとして、この際、主に在る二十年を回顧し、今後の展望を仰ぐ機会をもつと良いという思いと幻を与えられましたので、ここに皆様に「二十周年、何かしよう」との呼掛けのお手紙を認める次第です。

荒野の道の半ばで。さあ、何かしよう!何をしよう?
まずはこの状況を、出エジプト後のイスラエルに准えてみましょう。二十年というと、荒野の四十年のまさに半ば。そこにあったのは、試みと成長でした。「荒野の四十年」とは、律法=御言を本気で受け取った共同体的人格形成のとき。約束の地を仰ぎ、忍耐しつつ、唯一の神礼拝と主と共なる生活の在り方を、御言によって、若者が学校に学ぶように皆でじっくり学んだときでした。確かにまだ群れとして不安定で共同体形成の努力の日々は暫く続くのです。しかしまさに荒れ野にこそ、闇に輝く光のような輝きが見出せました。U(地名)の教会もそのような時にあると言えます。主の福音をスイスの地に日独語を用い広く宣べ伝えようとの志と幻により建てられた群れは、今、荒野の半ばで、少しヴィジョンの不透明さ、あるいは不一致という現実問題を前にしているように見えます。今はある意味で試みのときなのです。が、繰り返しますが、こんな日にこそ御言の幻は輝くもの。安心して皆で確認するときを持とうではありませんか?さあ、今からどのように一緒に生きていこう。教会は、具体的な御言の指針を必要としています。何かしよう!という思いを導くのはわたしたちの知恵でなく、御言の知恵以外にないことを私たちは知っています。その上で問うのです。主の教会に、今何ができるでしょう?

変わらない二本の柱
ところで、個人的に、T牧師からG宣教師への牧会伝道体制の移行期とも言うべき2009年以来、断片的に観察した印象でものをいう不十分をご容赦いただきたいのですが、私の目には、U教会は「御言葉に生きる祈りの礼拝共同体であり、宣教の群れ」でした。そこには二本の柱があったと思います。「礼拝の交わり」と「伝道」―古い伝統的な教会用語(ギリシャ語)を用いるならば、「コイノニア」と「ケリュグマ」です。きっと、回顧と展望の文脈で、私たちは、まずこの二つの意味を確認し、学ぶことになるでしょう。

「礼拝の交わり(コイノニア)」の課題
二十周年の機会に、きっと第一に取り組むことになるのは、「礼拝とは私たちにとって何だったか、今どうあって、今後どうなるのか」という問いです。月に二回行ってきた日本語・ドイツ語礼拝の意味、ドイツ語圏スイスで日本人とその家族を中心に集まることの意味などが、回顧とともに展望として問われることになるでしょう。たとえば、神と兄弟姉妹への信頼に満ちたこんな対話が起こるのです。―さあ、今後、どんな礼拝を一緒にまもっていこう。聖書に書いてある通り毎週でなくてもよいのかな。子供たちと部分的に一緒で、ときに別々に過ごしている日曜日の現状はどう考えよう。日・独語での説教の在り方はさらに良くできるのだろうか。説教の長さはどうか。内容はどうか。讃美はどうか。祈りはどうか。礼拝全体はこれでよいか。そもそも、日曜日、安息日とは何だろう。礼拝と生活との関係は?礼拝の建物は借り物のままでいくのか?―など。この対話から、御言が群れの中心であることの大切さが確認され、祈りが深まり、希望が生まれるでしょう。

「伝道(ケリュグマ)」の課題
同時に、御言をスイスにいる多くの人たちに二つの言語で持ち運ぶ伝道の業の実際も確認されるに違いありません。一つには家庭集会の在り方が問われるでしょうし、この場が教会に普段来ていない人にも開かれ、礼拝への道案内となってきたこれまでと、その道筋が必ずしも明白ではなくなってきた一部の現状を確認し、今後を方向付けることになるはずです。たとえば、こういう対話が起こるでしょう。―家庭集会は伝道の場なのか訓練の場なのか。これは牧師・宣教師の存在なしにできるのかできないのか。集会所は今後増やすべきか減らすべきか、それが可能か。他の日本人教会との協力関係も深めるとするなら、どのような形が良いのか。スイスの現地教会との関係を結ぶのか、否か。音楽会やバザーや、その他の催しを伝道のために企画した方がよいのか?―など。
伝道の志の確認、これもマタイの福音書最後に見られるような主の御言葉に従う群れにいつも必要なことです。

二つの柱から四つの柱を基として
さて、これまでこの教会が大切にしてきた二本の柱を基とした志を継承・更新したいとの願いが、この二十周年を機に確認されるはずだと申し上げました。しかし私たちは、この際、それでも不十分だという視点を、また持ちたいと考えます。すなわち、この二本に更に二本加えた、古代教会以来の教会建築の目印とも言ってよい「四本柱」による均整のとれた成熟した公同教会の形成への変革努力を、今後のヴィジョンとして持ちたいのです。「コイノニア」と「ケリュグマ」に加えるもの、それは「ディダケー」と「ディアコニア」。すなわち、「教育」と「奉仕」です。

「教育(ディダケー)」の課題
子供たちを教える日曜学校の在り方に加え、信仰者全員が学ぶ必要があるということは、代々(よよ)の教会が知っており、実践してきた事柄でした。歴史的な教会は、聖書と信仰告白・信条を中心に、教育のカリキュラムを整えていましたが、この教会では、どうでしょうか。最も広く用いられている聖書と祈りへの手引きは、おそらく「みことばの光」(小冊子)でしょう。これは、各家庭で毎日用いられることによって、一つの伝統に根ざした聖書理解を教え、私たちの日々の聖性を深めてくれます。では、さらに、他に教会全体として読むとよい本は、あるでしょうか。聖書をもっと体系的に学ぶことや、教会とその教えの歴史を学ぶためには、家庭以外でも学ぶ機会が必要でしょうが、今後はどのようにしていきましょうか。教派のさまざまな伝統が交差するわたしたちの教会にあって、狭隘でなくただしい教えを学ぶためには、何が必要でしょうか。教会修養会や他教会との合同の学びの会への参加とともに、定期的な会を持つ可能性はあるでしょうか。そのために、家庭集会の場はどんな役割を果たすことになるでしょうか。子供たちの教育にも問うべきことはありそうです。年齢ごとに相応しい手順を踏んで、聖書を教えるためには、どんな方法があるのでしょう。いつから始め何が目標となるでしょう。子供たちに教える者たちはどのように訓練されるでしょう。

「奉仕(ディアコニア)」の課題
病をえた兄弟姉妹、さまざまな理由で困難を覚える教会員がいるときに、教会がどのような支えとなることができるか、これは親しい交わりの中で、どのように行われてきたでしょうか。私は個人的に、祈りに根差した互いの助け合いがとても深い群れであると観察しています。ただし、教会が「奉仕(ディアコニア)」というとき、それは、伝統的に、自分たちの群れの枠を超えたものでありました。それはもちろん神奉仕(Gottesdienst=礼拝)に始まりますが、すでに「世」を視野において境なくひろい他者を隣人と見なしての奉仕をもいうものです。混沌に呻く社会との関わり、貧しい人々や、政治的社会的な偏りと不義に苦しんでいる人々、突然の災害にあった人々、飢え渇いている人々との関わりを、スイスの日本人教会はどのようにもっており、またこれからもつことができるでしょうか。経済的なことを考えれば、弱い群れだと言わざるを得ないわたしたちの群れでも、できることを探していくことは大切です。もちろん、時々にこのような課題への対応はこれまでも折によってなされてきました。しかし、それが一人ひとりの思いつきにではなく、教会的な業として行われる必要があるとすれば、この課題についての常なる対話が必要だと思います。まだまだ、「他者」を知る必要もあるでしょう。「奉仕」は他宗派、他宗教、無信仰、信仰否定の文脈でこそ、行われるものだからです。それぞれの得意分野・賜物がもっと広く用いられるような、教会員どおしと、教会外への奉仕の在り方を、教会の歴史に倣いつつ模索する必要がありそうです。

最後に、二十周年記念礼拝、記念会とその準備、ひとつの提案
以上の四本柱について深める数年間をこれから過ごしていきたいというのが、私の願いと提案であり、与えられた幻でした。その方法は、皆さまがそれぞれアイデアを出して、豊かさの中で多様に見出されていくべきものだと思いますが、今、この四点という方向性は一致して一緒に確認できるのではないでしょうか。その上で、これはあくまでもひとつの提案ですが、教会建設二十周年記念誌の作成、当日の記念礼拝と、記念集会を企画してみるのはいかがでしょうか。これまでの歩みがどうだったかを、たとえば以上の四点に沿って、展望と共に、今後に残る形でまとめておきたい。その歴史を経て、今、現状で最も豊かだと信じる礼拝(聖餐式の交わりと共に)を、新しい讃美と霊的な祈りと共にこの機会に一緒に祝いたい。伝道のために新しい道を開く機会となるような集会を礼拝後にもち、多くの近隣の人々を(日本人、スイス人、ドイツ人を中心として)そこに招きたい。教会員の訓練と、教会外への奉仕を模索して、もしかすると同じ時期に避けられないだろう新しい牧会体制への移行に繋がるものとしたい。これは、牧師・宣教師だけ、役員・世話人だけ、その他一部の熱心な人だけが志せば実現することではないと思います。教会全体が、礼拝者全員が、同じ夢を見て父なる神、主に聞き従うことなしに、荒野では生きられないのですから。私たちの大牧者主イエス・キリストが共にいてくださいます。聖霊の導きを求めて、ご一緒に祈りつつ新しい画期を迎えましょう!

出エジプト記24章、申命記29章を経て、今
エペソ人への手紙を読み、祈りつつ
2011年宗教改革記念日に
S.O.

母教会80周年によせて。

以下は、わたしがかつて働いていた教会の80周年をお祝いするために
記念誌に寄せて、先日認めた手紙です。

-------------------------------------------------------------------------

確に理解するほどに、驚きも大きい」

80周年おめでとうございます。

この機会に、私は、A・ブレンデルという人が音楽家としての人生で学びとった上の言葉を
通して、K教会・T集会所伝道師として神と人とに仕えた日々を思い起しています。
思えばあの日々、この言葉は、二つの文脈で私の実感でした:

・ 第一に、礼拝・祈祷会の準備と実際から知った、神との格闘と憩いの文脈。
・ 第二に、みなさまとの出会いと交わり、小会での対話と協議、あるいは開拓伝道の
具体的な歩みの中で知った、人との間の緊張と信頼の文脈。

かの有名なピアニストがどのような意味でこう語ったかはここでは触れられません。
が、私にとっての意味を申し上げるならばこうです;「正確に理解する」とは、人格に直接
触れるような、イキイキとした出会いに基づく知、把握のこと。「驚き」とは、二重の意味で、
つまり、「つまづき」と「ときめき」の両面を伴って心と肝と魂を満たす思いのこと・・。

そうです、今思えば、私は、主を知れば知るほど、そして、みなさんを知れば知るほど、
躓いたり、ときめいたり、なんだか人間らしい自分であったのです。
具体的な事例はここで申し上げる必要はないでしょう。ただ、加えて申し上げたいことは、
私がその歩みの中で、結局「自分」という存在を知って、知るほどに「はっ」と驚く経験を
していたということです。

あの日々に知った、自分のあまりに大きな欠けや弱さも、
あの日々に持った、自分はこの言葉に立つのだという希望や確信も、
さらに「正確な理解」を求めるよう私の生涯を方向づけました。
そして今、その延長で、私は神と人とのイキイキとした触れあいを求めてスイスにおり、
聖書を読み、新鮮な躓き・ときめきの連続の只中で生活をしているのです。

K教会・T集会所での生きた三年間と、今に至る方向づけを与えてくださった
主なる神さまに心から感謝いたします。
そして、忍耐と希望を共有し、その道を一緒に過ごしてくださったみなさま、
離れてもなお祈りと支えをもって共に歩んでいてくださっているみなさまに
心から感謝をいたします。
私もK教会のこれからのいっそうイキイキとした歩みに、主がいつも共にいて
生きて働いてくださるよう、ご一緒に祈って参ります。


「わたしは息をしている。これこそ神を讃える十分な根拠だ。」

これは、私が属するチューリヒの教会合唱団のメンバーで、引退牧師にして
実践神学者であられるS先生が、詩編に関する著書の中で書いておられた
言葉です。私はこれを、スイスでの研究生活・信仰生活のふとした時々に
思い起します。

例えば、礼拝での静けき祈り・麗しき讃美の機会に思い出すほかは、
特に学びの途上で走り疲れたと感じ「はぁはぁ」と息切らせ立ちどまるときに。
自分たちや隣人の困難に「ふぅ」と深いため息をつくときに。
あるいは何かにいら立ち「あふあふ」と鼻息を荒くしてしまった直後の苦々しい
ひとときに・・・(ところで、ヘブライ語で鼻はアフと言いますが、
これは怒りという意味もあります。なるほど)。

そんな折々に、この言葉はしばしば私を導いて、新しい一週間を積極的に
始めさせ、新鮮な一歩を元気に踏み出させてくれます。

それは、創世記二章六節で主なる神がアダムを「生きる者」とするために
その鼻に吹きかけた「命の息」のイメージと相伴って、
創造主なる神さまに心を向けさせてくれる言葉です。
また、新しい言葉の力を湧き起こす御霊が風のように吹きつけて
イエスの弟子たちを満たした聖霊降臨のイメージに似て、
魂=息を吹き返すために何が必要かを思い出させてくれる言葉です。

イキイキとした生を求める歩みの中出会ったこの大切な言葉を、今、ここに、
一つの画期を迎えておられる貴教会にお贈りさせていただきたく存じます。
貴教会が、いよいよ新しい命の御言に息づき神の栄光を讃える主の群れとして、
与えられた伝道地で、与えられた工程を、
呼吸も新たに歩み抜いてゆかれることを願いつつ。

どうか、みなさま、これまでもそうであったように、主の十字架と復活の、
驚きに満ちた福音の命に生きる教会とその肢体なる一人一人として、
息弾む歩みを続けてください。
祈りを忘れず、歌を忘れず、主の栄光を表す群れとして、
夕に朝に御言に生き、神と人とにお仕えください。

→「キリストの言葉があなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と讃歌と霊的な歌により、
感謝して心から神をほめたたえなさい。」コロサイ3:16

妻がみなさまによろしくと言っています。
東京生れの教会の娘も今年十一月には四歳です。
スイスでまた新たな空気を吸って、成長のよい機会を与えられています。
再会の、成長に驚いていただく日が楽しみです。

2011年10月30日

聖書翻訳の問題。隅の親石?それとも要石?

以下、ツィッター上の友人たちとのやりとりをきっかけに調べたこと
のまとめです。140字を重ねに重ねて長く書いてしまいました
ので、どこかにまとめる必要が生じましたし、
聖書に関心のある方に読んでいただきたく、ここにも載せておきます。

聖書に「隅の親石」「かしら石」「要石」などと訳される言葉が出てきますが
ヘブライ語はもともとどんな建築用語なのだろう、という疑問からはじまった
探究です。それは、建築物の最初の基礎・土台だったのか、それとも、すべてを完成
させる最後のものだったのか。Α(アルファ)かΩ(オメガ)か。
結論は、当たり前のことなのですが、その語が使用される
文脈によって違うというものです。

対話をしてくださった方は、ラテン語聖書の翻訳者、聖書に関心
のある建築家の方などで、とても深く楽しく対話ができたのでした。

感謝の思いもこめつつ。


2010年07月27日(火) tweets



 「隅の頭石」の「隅」と訳されるピンナー(n二度読み)。語源不明、動詞pnh(to turn, turn away)?ゴードン、ウガリットpnt(corners of the back)と関係指摘。ヨブ38.6,イザ28.16,エレ51.36で石と共に。 
posted at 18:46:55
詩118.22も冒頭石と関係、ヨブ38と同義。が直前の語は頭r's→直訳「建てるものらが拒んだ石が 隅のかしらとなる」。隅=角?ヨブ1.19「四つの角の家」。出エ38.2「祭壇の四隅」のツノに神学的意味?隅は古く指導者暗喩 士20.2,サム上14.38
posted at 19:16:33
隅、角両方の意味領域を持つ語はないのかな、分かりません。現時点では口語「隅のかしら(石)」が良いのではないでしょうか。文語「造家者らの棄てたる石は、これぞ隅の首石(おやいし)となれる」はメロディが好みではありますが・・ラテン語では?教えてください。
posted at 19:31:27
「造家者」に「いへつくり」とルビを打てる、これが文語訳聖書のいいところ。
posted at 19:32:50
文語聖書はしばしば漢字で直訳的意味を表し、ルビでメロディとリズムを作るという役割分担をしているよう。この在り方の場合、聴くに美しいが、見て意味を深めることも必要。日本の教会が、聴くことに重点をおく伝統を受け継ぐが、時にそれを損なうようでも皆聖書を持参し文字を目で追ってきた理由?
posted at 19:50:44
あるいは、漢語と和語の両方を共に用いた結果、そのような役割分担に見える部分が生れたということかもしれないが。意味か音か、漢語か和語か、どちらかを選ばなければならないような事態に直面して頭を抱えがちな最近の聖書翻訳者の苦労を思いつつ・・・。
posted at 19:56:19


2010年07月28日(水) tweets




(ラテン語からの「壁龕」という訳語の提案をうけて) 思いがけない訳で興味深いです。良く理解するため質問させてください。古代オリエントの建築技術としての壁龕(ニッチ?)というと、どういうものですか?神殿等の壁か柱を穿って物を置いた場所のイメージですか。その頭石とは?詩篇以外も統一して壁龕と訳されますか。
posted at 07:25:22
それともニッチでなくアーチのようなものの楔石を考えておられるのでしょうか。
posted at 07:33:24
面白く眠れませんが280字のみ!土台でなく複数ありえた壁龕の枠アーチの楔石との理解ですね?家に限らず城門もOKですか。イメージ具体的で小さな石も文脈から合いそうですね。未確認でも古代オリエントでニッチにアーチは想像できます。問題は考古より文献学ですね。
posted at 08:43:56
新約は詩篇引用、ヘブ―ギリ他の順に考察。ヘブ/ウガ関連ありとすると角との第一義が捨てがたく、諸訳γωνία、angulus他も第一義は角/隅。訳による限定は好まないとすれば、隅と訳し町や家屋の要所の(城)壁ニッチ/アーチと解釈するのは?代下26.9参照
posted at 09:12:37



2010年07月29日(木) tweets



夏の休みの期間、チューリヒの夜行電車も休みになるとは知らず、昨日の夜は大学に泊まり、早朝帰宅。それからなんだかんだで今は午後14時です。遅くなりましたが「隅のかしら石」と訳された言葉について、昨日調べたことをメモします。
posted at 21:09:48
沢山参照しましたが、とくに辞書ではThWAT、詩篇注解ではH.J. Kraus, Zenger(今年死去され残念!)/Hossfeld、新約論文ではJ.Jeremiasに学ぶところ大。今回私は詩篇118に焦点を当てメモします。が、まず辞書的概観から。
posted at 21:18:07
ピンナー;旧約30例中23例建築用語。他は門の名(ザカ14)、公重職名等の転義。預言書イザ・エレ・エゼの各二、三例や詩篇唯一の例等、格言引用中の場合文脈毎神学的意味の付加があり、引用者により建築用語の知識が違う。いずれにせよ第一義は角つまり転回点、線の交点。孤(hamuq)と別。
posted at 21:42:29
格言的意味も展開し広まった表現ローシュ/エーベン・ピンナー(ピンナーの頭/石)の本来の意味が①建築完成を象徴するBauschlußstein (アーチ等の要石、楔石等/エレミアス)か②基礎・土台を象徴するEckstein/Grundstein(所謂隅の石、礎石)か決定的論拠なし。
posted at 21:49:54
①に含むか、Zinne鋸/凸壁、小尖塔の意も(ゼカ1.16)。①か②かは引用者の理解に依存。明らかに高みにある角を文脈で取れる場合は①、基礎・土台の意味が引き出される文脈では②と解釈する。エレ51.26のように並行法の対の語を同義ととるか対義ととるかで①②解釈分かれる例も。
posted at 22:07:00
イザ28.16は同盟政治の欺瞞への叱責の文脈。「礎」と同義の②として引用。動詞時制により解釈分かれるが主による過去の礎(シオン、神殿、ダビデ王朝の選び)か、先の基礎付け(残りの者、真の信仰者[クムラン]ないしメシアの選び)を告げる内容。LXXギリ訳にメシア希望と読ませる意図あり。
posted at 22:16:25
詩118は祭儀/感謝祭の座をもつ。共同体で繰り返し朗読されたろう。ヘブル詩らしく語り手人称変わる。個「我」-共同体「我ら」の結び付き。我はイスラエルの擬人格とも共同体の代表者的個とも取れる。後者の展開がユダヤ人訳のLXXが意図し、新約の教会が確信するメシア信仰。
posted at 22:32:45
詩篇118.22は5-18の神による驚くべき「我」の救いを神学的に説明する意図。救いをどう解釈するかが鍵。①完成か②基礎付けか。棄てられた石を新しい神の家の②土台とする(ThWAT)か、今目の前に立とうとしている家の①完成に役立てるため神が見出す石(ツェンガー)か、解釈史は多様。
posted at 22:39:55
ツェンガー/ホスフェルトは解釈史の幅を認めつつ、これが新しい家でないとすれば、建物の隅の礎でなく建物の上の安定に欠かせぬ切妻か要石として「目」(23節)に見えて役立てられたものだと解釈する。家は引用格言中の表現で「城門」(19)のイメージを詩人が持ったかもしれない点も解釈の幅。
posted at 22:48:29
結論は文脈により断言的に①②を解釈に選べる場合と、そうでない場合があり、特にそうでない場合解釈の源泉となり、後代の神学的展開の豊かさを産んだということ。ここで翻訳の役割の問題がある。一つの解釈を提示する訳か、解釈の幅を残し説き明かしを待つ訳か。学者訳は前者、教会訳は後者が多い。
posted at 22:59:54

2011年10月26日

M・ブーバー 『ハシディームの物語集』より 「宝物」

「宝物」

[ハシディームの賢者]ラビ・ブナムは、初めて自らのもとに来た若者に、[ポーランドは]クラクフのラビ・エケルの子、ラビ・アイジクの物語を聞かせることにしていた。

「厳しい困窮の年月(としつき)が続いても御神への信頼を揺るがせにしなかったある男に、夢でお告げがあった。その命じるところでは、かの街プラハの王城に通ずる橋梁に、宝を探し求めよとある。三度(みたび)同じ夢が繰り返されるに至ってはこのラビ・アイジク、一路プラハへ出立し歩きだした。さてもかの地に辿り着いたときに彼が見出したものは、昼夜橋を見張り立つ歩哨の姿であった。宝を堀り求めるなどかなわかない。しかし、それでも彼は朝毎橋を訪ねては、日の沈むまでそこをうろつくのである。ついに見張りの頭(かしら)たる人が声をかけ、この旅人の出身部族が判明するなり、馴れ馴れしくも尋ねてきた。『何かを探しているのかね。それとも、誰かを待っているのかね』。ラビ・アイジクが語るには、夢が自分を見知らぬ地へと導いたのだという。見張り頭は笑って言う。『ああ、なんと憐れな男だ、あんたという人は。夢なんかのために駆けずり回っているのか!おい、夢追い人や!それならわしも出かけなきゃならなかったわな。わしにも夢でお告げがあって、クラクフのあるユダヤ人―こいつはエケルの子アイジクと呼ばれるそうなんだがね―、そいつの部屋に赴いて、暖炉のもとに宝を掘り出してこいと言われたのだから。エケルの子!アイジクよ!ならば考えてみたってよいぞ。アイジクなりエケルなりとよばれるユダヤ人のいるところへはどこへでも赴いて、あらゆる家また家をこじ開けてまわろうか!』そう言って彼は再び笑うのだった。ラビ・アイジクはそこで深々と礼をするなり帰路につき、自らの家に宝物を掘り出して、そこに『レブ・アイジク、レブ・エケルズ・シュール[イディシュ語で、ラビ・アイジク、ラビ・エケルのシナゴーグないしユダヤ学校の意]』と名づけた祈りの家を建てたのだ。」

「この物語を覚えておきなさい」とラビ・ブナムは加えて言った。「そして受け入れなさい、この物語が君に告げることを。すなわち、君がこの世界のどこにも―この[ハシディームの『義』たる賢者]ツァディークのもとにも―見出せないものがあるということを。また、君が、それを見出しうるただ一つの場所が、なおあるということを」。

"der Schatz"   Die Erzährungen der Chassidim (Martin Buber)
マルティン・ブーバー『ハシディーム(敬虔者)の物語集』より
 (ドイツ語よりの私/試訳 Schu-hey, 26. Okt. 2011)


以上、先日、チューリヒのある牧師より頂いた自費出版の小冊子"Von Senfkörnern und Kürbissen-Kurz- und Kürzegeschichten aus Bibel und Literatur"(Edition Kämbel 2011)に納められたハシディームの物語から一編日本語にしてみました。しかし、すでに、邦訳は以下の著書に他の物語と一緒に挿入の形で出版されているそうです。

ブーバーに学ぶ―「他者」と本当にわかり合うための30章』(斎藤恵一著、日本教文社、2003年、312㌻)

さて、この物語をどう読むか。これは読者の自由です。
インターネット上で見つけたある方のブログでは、「一番大切なものは、自分の足元に隠れているが それは長い困難な旅をしないと見つけることはできない。」という教訓に受け止められていました。


わたしが手にした上の小冊子では、神の国に関する信仰上の譬えの文脈で編集されています。「家」を「神の国」と考えたということでしょう。


いずれにせよ、ユダヤの知恵は面白いですね。



2011年10月19日

Hinter den Kulissen von Steve Jobs.. スティーヴ・ジョブズ氏の陰で・・

Am 5. Sep. 2011 ist der bekannte "father of iPod (Vater des iPods" verstoben. Überall -vor allem im Internet-wurde Steve Jobs zahlreiche Worte des Lobes, der Anteilnahme als "Tribut" erwiesenDiese aufgeregte Stimmen aus aller Welt klingt manchmal sogar quasi religiös.. Ja, sicherlich hat er einen  unwahrscheinlich großen technischen und künstlerischen Einfluss auf unser Leben ausgeübt . Das kann ich ohne zu Zögern erklären. Wo ich zögere zuzustimmenist aber die Tendenz zur Einseitigkeit

2011年9月5日、有名な「iPodの父」スティーヴ・ジョブズ氏が亡くなりました。あちらこちらで―とりわけインターネット上では―、「トリビュート」として、数々の賛辞が捧げられています。その世界に高まった声また声は、ときにいくらか宗教的にさえ響くほどです。。確かに、ジョブズ氏が、わたしたちの生活に、技術上のたいへん大きな影響をもたらしたことを認めることにやぶさかではありません。が、わたしが同調することに躊躇を覚えるのは、その偏りの傾向です。

Nun möchte ich noch darauf aufmerksam machendass wir unseren Blick gleichzeitig auf etwas anderes richten sollten. Das ist zum Beispiel der Tod eines der bekanntesten "fathers of the Civil Rights (Väter der amerikanischen Bürgerrechtsbewegung". Er starb auch am 5. Sep.2011, dem gleichen Tag des Todes von Steve Jobs

ここで、私は、私たちが目を向けるべき他のことがなお在るのではないかと申し上げたいのです。たとえば、ジョブズ氏と同じ日、2011年9月5日に世を去った「公民権運動の父ら」の一人、フレッド・シャトルスワース氏のことに、同じだけたくさんの方が目を向けるべきだったのではないでしょうか。

 
http://www.newser.com/story/130316/civil-rights-leader-rev-fred-shuttlesworth-dead-at-89.html? 

Also..
Beruhigen wir uns nun einmal und beobachten wir die Welt oder zumindest die Internetseiten unter noch vielseitigeren GesichtspunktenUnsere Realität sollte nicht einseitig seinIch möchte niemanden kritisieren, sondern wollte diese vielseitigen Aspektewollte ich hier mit Euch abgleichen

さて...
少し心を落ち着けて、改めて世界を、そして少なくともインターネット上の情報を観察してみましょう。わたしたちが見るべき現実は一方方向だけでは充分にはわからないはずです。これは誰の批判でもありません。ただ、ジョブズ氏の話題の陰になりがちな多角的な視点を今こそ持ちたいね、と呼掛け確認したくて、今日の日記を書きました。あしからず。

上の記事は、以下を受けてのものです。
http://www.newser.com/story/130384/lets-calm-down-about-steve-jobs.html