2009年以来、チューリヒで聖書を勉強してきました。自分の論文を書くために、想像以上に多くの壁をクリアしなければならないことには、最初から驚きの連続でした。
一番の壁は、歴史的に聖書を読もうとするときに起こる価値の相対化という問題です。
旧新約聖書はわたしにとって、なお歴史に生きる神の言葉だと十分に信じ告白することのできる書でありますが、同時に、それは、長い時間をかけ、人間の口をとおし人格をとおして、したがって、それぞれの神学や信仰上の限界、当時の社会の現実的理解をも引き受けて伝えられた徹頭徹尾人間的な、多種多様な諸文献の集合体だと思います。
聖書内には、古代の他の文献と変わらないさまざまな政治上のプロパガンダや、時代によって移りゆく神学的イデオロギーや、価値観の操作や、論争や、そして、矛盾と緊張や、さらには誤りさえもがあります。
聖書内に描き出された神観さえ、例外ではありません。聖書の神は、誤解を恐れずに言えば、多種多様で、その多様性は古代の「神々」の多様さに比べられます。
たとえば太陽神の影響さえ受けているかのような輝く「YHWH(わたしは、なおユダヤ・キリスト教の
伝統に従って「主」と読むようにしています)」も存在するかと思えば、そういった「異教的」要素を徹底的に排除しようとする「宗教改革者的」な人々の信じた同名の神もいるのです・・。
他の文献と変わらない?他の「神々」との影響関係?
そんな見方に出会って、わたしが日本の改革教会で培った信仰は正直なところ、最初大いに動揺してしまったのです。
戦後になってようやくカルヴァン的「教会と国家」の神学や弁証法神学に「救われた」先輩の神学者、牧師たちは、イエス・キリストを主とし、他の主人や国家に仕えることを許さない絶対的な神をあがめることの益を、わたしたちの世代にも伝えてくれました。
その視点では、相対化はもっとも危険な誘惑です。
「信仰告白の事態」にあったのに、かつてその相対化に陥ってしまったことこそが、教会の誤りでした。今の政治動向を見ても状況は変わらないようにさえ思えます。今こそ襟をただして、悪に仕える誤りは繰り返すわけにはいかない、という覚悟がなお強く求められると思います。
戦後の神学的真理追求の中で生じたキリスト者による罪責告白の誠実さは、日本の歴史の中では少数派の力弱い運動であったと思われるかもしれませんが、わたしは、当時としても、今後の歴史あっても、とても大きな意味を持つものだと思います。そして実際、そういった誠実な先輩たちがよりどころとした源泉の聖書にも、そのような神学を裏付ける多くの箇所が見出せると、わたしは今も読み取ることができます。
しかし、聖書の成立ということに一度関心をもつと、そこからあらゆる価値観の絶対化を否定する実体があることに気づかされます。これが、わたしがチューリヒで改めて緊張をもって見つめている問題です。聖書は、その口伝の時代には一個の聖典などではありませんでした。ひとたび書き記されてからも、ひとつの解釈に全体が落ち着いたことなどなく、つまり、ひとつの状況において真理であったとしても、それさえ永遠には「絶対化」することを許されないものであることを裏付けるたくさんの聖書の箇所が、また相並んで緊張含みで、現に聖書内にあるのです。
そういった多様性に心を開いたとたん(実際にわたしは今心を開こうとしているのですが)、価値の相対化の波が、わたしのこれまでの幼い教会的信仰の壁を乗り越えようと押し寄せては、わたしを悩ませるのです。絶対を「状況倫理的に」用いるだけでは、それは絶対とは呼べません。わたしは、こうして、今、絶対と相対の交わるグレーゾーンに立っています。
まだ悩みの中で書いており、ごちゃごちゃしてきましたので、一端暫時的にまとめて終わりにしようと思います。
聖書内の文献と文献との緊張や差異は、古代の他の文学・文献とほとんど等価のものとして比較してみて(つまり相対化して)はじめて理解できるものです。宗教史的、考古学的、歴史社会学的な学問の助けを経ずに、当時の文脈や状況、価値観を理解することはできないと思います。また、
聖書の場合、気が遠くなるほどに長い時間をかけて、伝承がまとめられたり、取捨選択されたり、記憶の中でまざったりして、その結果、後に聖書正典となる書や文献が書かれ、書かれた後も
改版、訂正されたり、付加されたり、翻訳されたりする文学上の作業もありました。翻訳や釈義によって、今もその文学的神学的意味づけの作業は、つねに新しくなされ続けてすらいます。そのような聖書文献の人間による解釈の歴史の中では、絶対化された神観や宗教観、倫理観はつねに問いを受け続けます。かつて真理であった信仰が、今日真理であるかどうか、問われます。絶対と相対はわたしには簡単に白黒つけられず、絶対化と相対化の間の灰色の世界に立って、その死の陰の谷を歩みつづけるしか、わたしには今のところなすすべがありません。そのような視線で聖書をながめると、聖書こそそのグレーゾーンに存在感を持っているように見えてきます。白黒つけられない場所に聖書があるということ、それ自体が、わたしには、人格をもった神が生きておられることのしるしであるとすら、思われてまいります。
以下、わたしが最近訳をしています指導教授の「旧約聖書文学史」に関する論文からの抜粋です・・
旧約聖書は、長い期間をこえて成立した文学〔文献Literatur〕から成り、そのために、その諸本文、諸文書への文学史的アプローチがおのずから浮かび上がってくる。旧約聖書は、〔いわば〕複数の書を包括する紀元前1世紀の図書館である。ただこの図書館にあっては、単にこれらの書物がそれぞれ、総体として様々な時代になった、というだけでなく、通例、各書それぞれ自体が、いくつもの長い期間をこえて構成されてきたのである。したがって、旧約聖書は―史的に見て―、すくなくとも二重のあり方で、歴史的な区別をもって認識されるべきである。すなわち、その複数の書は、〔書の総体として〕様々な諸画期〔エポック〕に属するが、同じことが、これらの書物内の諸本文にも言えるのである。さらにまた、旧約聖書の本文所産のある部分は本来的には口頭伝承に帰する、ということを考慮に入れなければならない。旧約聖書とは―古代オリエントの諸文献と基本的には比較が可能な―、「伝承文学〔Traditionsliteratur〕」なのである。つまり、それは、ある特定の時期〔エポック〕のある特定の著作家には帰すことのできない本文および文書から構成されている。諸本文の背後にある中心的存在は著者ではなく、伝承者〔Tradent〕―文献を書くという意味では創作的だが、たいていの場合匿名かあるいは偽名で伝承過程に身を置いた者―である。一冊の書の背後で著作に関わった人物としての個人の「我」は、概念としては、コヘレト(前200年)のもとでようやく具体的な形をとり始める。聖書的な一書の著者として実名が知られる最初の人は、イエス・シラクである。彼は前180年に書き、その書は新たな七十人訳正典を構成する一冊となっている。・・・Konrad Schmid, Literaturgeschichte des Alten Testaments. Aufgaben, Stand, Problemfelder und Perspektiven, ThLZ 136 (2011), 243.
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