2013年1月4日

ルネ・モラー/アルテュール・オネゲル 「ダビデ王」(私訳)―第一部 Arthur Honegger "König David (Le Roi David)" Erster Teil

*ルネ・モラー(没1963年1月3日)の詩に基づく、アルテュール・オネゲル(没1955年11月27日)の作品「ダビデ王」の私訳を、ここに公にしたいと思います。スイスの著作権法は死後70年の保護ですが、日本の著作権法は死後50年の保護となっています。「外国人の著作物の保護期間の特例」(a)保護期間の相互主義によれば、保護期間が短い国の保護期間だけ、保護されるということですので、この作品の翻訳権の保護は、日本の規定に基づき50年、すなわち、ルネ・モラーの死後2013年1月3日までの保護だと理解しています。わたしは、著作権法について、詳しくありません。もし、この理解に誤りがあれば、ご指摘ください。その場合は、ただちに削除いたします。

*その後、コメント欄をとおし、翻訳権の保護が、著作者の死去した翌年の1月1日から50年間であり、モラーの場合は2014年1月1日までなので、本記事の公開は1年フライングであったと、お教えくださる方がありました。ご指摘有難うございました。早すぎる公開について、ここに謹んでお詫び申し上げます。

第一部
2009年トーン・ハレ・チューリヒのポスター
左)20スイス・フランのオネゲル
右)ミケランジェロのダビデ

羊飼い・中隊長・将軍としての

ダビデ


1.導入


語り部

時至り、実に全能者は預言者の口を通じて、
ご自身の選び出された民に語られた.
この時に至り、王サウルを見限った
いと高き統治者が、先見者サムエルに語りかけられた.

「身を起こせ、我が子よ。
そして君の角(笛)を油で満たせ.
赴くのだ、エッサイのところへ。
彼こそ忠実な者、我に益するベツレヘムの仕え人!
その子らのもとに、はたして我は選ばれしイスラエル王を見出した」.

かくして預言者はベツレヘムへ旅だった.
若きダビデが羊飼いとして野にあって、群れの番をしながら歌っている かのベツレヘムへ.

2.ダビデの牧歌(アルトソロ)

主なる神は私の護り、私はその牧場の小羊.
神は私を 信実に導いてくださる、
谷をこえて 瑞々しい汀へと至る小道へ.

主なる神よ、私の避け所、私の英雄(つわもの)よ.
私の花咲く丘の広い土地、
金色の真昼どきに、その木陰が私を涼しく憩わせてくれる地よ.

私の逃れ場、この主こそ.
稲妻が怖ろしく迫りくるとき、その腕が私を父のように匿う.
私の神よ、私は君をたたえます!
君よ、私の避け所、そして救いよ!

語り部

そしてエッサイは七人の息子らを、サムエルの面前にまみえさす.

そはしかし、エッサイに言った;
「主はこれらの者の誰をも選びたまわない.男の子はこれで全てか」.
そこでエッサイは答えた;
「もう一人、ダビデがおります.一番年若く、野にて羊を牧する者です」.
そこでサムエルは命じた:
「ならば使いをやって、その者を連れて来させなさい」.
はたしてその通りになった.
そこで再び、神が言われた:
「立て!そして彼に油を注げ!実に彼こそ、私が選びだしたものだから!」

そこでサムエルは油の角をとり、兄弟たちの真ん中で、ダビデに油を注いだ.
そしてこの日より、永遠者の霊がダビデの上に臨み、その傍らに留まった。

3.詩篇(同度の合唱)


主を讃えよ、その栄光(きらめき)の中で!
とこしえなる神が私を保たれる.

主は私の嘆願を聞き入れ、
そしてその強き武器は、敵どもの軍勢を粉砕した.

たとえ強大な力が再び私を引き込もうとも、
御手は私をその隊列から引き出してくださる.

主の雷鳴は不法な行いをする敵を撃つ.
悪意に満ちて滅びにむかい一つとなっている敵を.

語り部

この時、楢(オーク)の地にて、イスラエルの男らはペリシテ人との戦いに備えていた.

3a.ファンファーレ

語り部

この時、進み出たのはゴリアテ、巨大にして大言壮語の大男である.
ペリシテ人らの隊列から進み出たのは、イスラエルの軍勢を嘲り、罵るためだった.

ゴリアテ登場


語り部

だがダビデは弩(いしゆみ)をとり、見事に的を絞った石投げで、ゴリアテの頭を撃ちすえた.
イスラエルの子らは歓び、ペリシテ人らはエクロンの門口まで追われた.

4.勝利の歌唱(混声合唱)

万歳、ダビデ、万歳 ペリシテ人を打った者!
輝きに満ちた主の英雄(つわもの)!光に満ちた明るい星よ!
サウルは千を討った.だがダビデは万を討った!

5.出征


勝利の歌唱の繰り返し(合唱4)

語り部

はたしてダビデはミカルを抱きしめる.
約束された花嫁、サウルの娘を、王の宮殿で.

サウルはしかし、愛し合う者らを見、そして彼の陰鬱な心持ちは、妬みと猜疑で憔悴する.
そのころ彼は年をとり、対してダビデは若く美しかった.

そこへ、悪しき霊が王を襲う.
そしてある日、ダビデが玉座の前で竪琴をつまびき歌っていたとき、
サウルは歌い手に向けて槍を放った、彼を殺そうとしたのである.

6.詩篇(テノールソロ)


君よ、恐れるな、
そしてあの方を、とこしえの主を望め!

君の嘆きは一体どうしたことか.
「ああ、逃れよう、鳥が山の陰へ飛び去るように!」

そこには敵が構えている、
その銃を.           
彼は研ぎ澄ました矢と投じる.
夜を通して、悩ませる
その弾丸が.
罪なき心を撃つことなかれ.

君よ、恐れるな、
そしてあの方を、とこしえの主を望め!

語り部

ダビデは預言者らのもとへ身を避けた.そして、彼の心は荒野の熱い風に渇いた.
それから、ああ、彼は今や、永久(とわ)の別れをするのだ、かのヨナタン
-信実の友にして、愛を多くささげ合った兄弟-と.

7.詩篇(ソプラノソロ)

ああ!私に鳩の翼があれば、
森をぬけ、荒野をとおり、遠くへ飛んでゆくのに.
どこへ消え去ったのか、私の希望は、
私の全(まった)き信仰は?
誰が解き放ってくれるのか、死の縄目から
自由へと、この私を?
誰がこの悩み苦しむ頭に憩いを示してくれるのか?
夕に朝に、ああ、涙の中に立つ.

嵐が私の幸いを あまりにも突然奪い去った.
嵐は運ぶ、神に、私の願いを
私の嘆願を.

語り手

だがサウルは使いを送る、ダビデを捕え、連れ戻そうと.
そしてすぐに、使者らはナヨトへやって来て、ダビデを見出した
次のように預言する、預言者らの只中に.

8.預言者らの歌唱(男性合唱)

ああ、女から生まれた男が、長く生きることはない!
その者の行く路(みち)、それはなんと骨の折れ、
なんと悲しみに満ちた路か!

彼は草のように育ち、刈り取られ、萎む.
影のように消えゆき、そして彼の生きた地は
彼をもはや記憶しない.

語り部

荒野を一人彷徨う者
ダビデの心は孤独に
-移りゆく-そして清さに.
今や成熟してゆく
夢見がちな若ものから
男/人へと.

そして再びら沿いは燃え上がる.サウルの軍勢によって、
自らの群れと共に山岳へ追いやられたダビデは、
続いて宿り場と示された洞穴の入り口で、主に護りと助けを求め呼ばわった.

9.詩篇(テノールソロ)

恵みの神よ、私を憐れみたまえ!
おお、ゆるしてください、君の御もとに宿をとることを.
わたしは君の御手の陰に眠ります.

いつですか、おお、主よ、夜が終わりを告げるのは.
恵みの神よ、私を憐れみたまえ!
私の心よ、強くあれ!

私はほめ歌を歌おう、神に、主に!
おお、日よ、私を勝利へと明るく照らしておくれ!
私の魂よ、上がれ、神に向かって
そしてその御力を讃えよ

そして新しい歌を歌え!

語り部

すると神はダビデの手の内に、彼の敵、サウルを渡された.
闘いに疲れた戦士たちの中に、彼は自分の敵対者を、
(しかも)眠りにつこうとしているところに、見出した.
だがダビデは躊躇した、高貴な者を密かに討ち殺してしまうことを.
彼は杯と槍をとった―サウルの頭のかわりに―.
そして去った.それに気づく者は誰もなかった.
彼らは皆眠っていたからである.彼らに落ちてきたものは主からの深い眠りであった.

10.サウルの寝床


語り部

さて、ペリシテ人が新しい軍勢を徴集したのと同じころ、
イスラエルも再び争いに引き入れられることとなった.
王の軍勢は大変な苦境に置かれた.敵は山に向かい、騎馬、馬車と共に移動する.
そしてダビデは今、ペリシテ人の護りと助けを受け、ペリシテと共にいる.
イスラエルはしかし、信頼を置いていた、その神、主に.

11.詩篇(混声合唱)


主よ、我が神よ、君は私の暗闇の中の光です.
何を恐れるのか、君よ、私の心よ?
神よ、君よ、永遠者よ、
辛苦にあっての私の慰めよ.
私は何を恐るものとすべきだろう?

たとえ敵が防塁から、嘲りと滅びとともに脅そうとも、
森が槍と長槍で全く満ちようとも、
それでも私の神は私を覆ってくださる.
敵どもの軍が私を取り巻こうとも、
おお、永遠の光の主よ、
私の懇願は、地にまみれた野から上へと達するけれども、
それでも私の心は恐れない.

語り部

だがしかし、サウルはペリシテの軍勢を見た、スネムの方に.
彼は恐れ、その気持ちは怖気づいてしまった.
そこで彼は主に助言を求めた.だが、主は彼に答えたまわない.
夢を通しても、預言者を通しても、
光(まぼろし)を通しても、預言者を通しても.
そこへ、王のところへ来た僕らは言う;

「ご覧ください、エンドルに一人の女がおります、使者を呼びさます者です」.

そこでサウルは衣を取りかえ向かう、二人の男らの手引きで、夜に
魔女のところに.そして行った;

「予言してくれ、私に.お前の先見の霊を通して.
そして連れ上ってきてくれ、私に、私がお前に告げる者を」.

そこで女は言った;「私は誰を、深みの眠りの内より呼びいだせばよろしいか?」
対してサウルが言うには;「サムエルを、私のところに連れ上ってくれ!」

12.エンドルの魔女のまじない(メロドラム)


魔女

ウォーム!ウォーム!

炎によりて 水によりて
言葉によりて 風によりて
幻によりて 傾聴によりて

境を破れ!
鍵を破れ、骨壺を閉じた鍵を!

出でよ!出でよ!時はここだ!
ウォーム!ウォーム!

陰府(シェオール)の深遠より、我は君を呼び起こさん!
再び戻れ、新しき門戸の神殿へ!
出でよ!出でよ!

君の血を抱(いだ)け!その内に生命(いのち)を嗅ぎつけよ
我は今や、地(世)へ引き戻さん!
出でよ!出でよ!

おぞましい灼熱よ!おお、深みの火よ!
そは我が内に迫り、骨の髄まで我を焦がす!

おお、陰鬱な炎よ、刀の如き!
上がってこい!上がってこい!出でよ!

はァ!お前か、私を裏切った!お前か、サウルだな!

語り部

そこでサムエルがサウルに語りかけた;

「何を問おうと私のところへ来たのか?永遠者が今や君に背を向け、
君の敵となられたというのに?主はなされるだろう、私に通じて語られたとおりに.
そして君の手からイスラエルの民は引き離され、君に続く者、ダビデに引き渡される.
明日、主が民を引き渡されるだろう、ペリシテ人の非道な手に.
明日、君は、君の子らともども私と共に、影の王国にいるだろう」.

かくしてサウル、かの王は、その子らと共にギルボア山上の激しい戦いに倒れる.
勝利するのはペリシテの軍民である.イスラエルの光は塵と消えるゆく.

13.ペリシテの行軍


語り部

一人の死者がダビデに届け出た、油注がれた者、サウルの腕輪と王冠を.
ダビデは自らの衣を裂き、それを寸断し、地面に身を投げ出すと、泣いた
大声で、全ての民の前で、イスラエルのために、サウルとヨナタンのために.
彼らが剣に倒れたからである.

14.ギルボアの哀歌(ソプラノとアルトのソロを伴う女性合唱)


ああ!

語り部 (ダビデ、歌の間に)

「ギルボアよ!ギルボアよ!

君の誉れは、おおイスラエルよ、高みに横たわる.
それは打倒されたのだ.
いかにして、かの英雄(つわもの)が闘いに倒れたのか!

ガトには言うな、アシュケロンの通りで告知するな!
敵どもの娘が、それを喜ばないように、異邦の女らが!

君よ、ギルボアの山々よ、君らの上に露も雨も降らせず
ただ、涙と悲しみだけにせよ!

実に、その山上で英雄らの盾はたたき落とされたのだから.
王位にある者の盾が.
サウルとヨナタン、その生は優雅で魅力的だったが、
死にあっても彼らは、決して分かたれることはない.
彼らは鷲よりも素早く、獅子よりも雄々しかった!」

合唱:

泣け、サウルのために!

語り部

「君よ、イスラエルの娘らよ、泣け、サウルのために!
君らに、見事な紫の衣を着せられたお方、
君らを黄金の飾りで飾られたお方のために!

ああ、君のために私は残念でならない、我が兄弟ヨナタンよ.
君の愛は女性の愛よりも私には価高かった.
ヨナタン、高みにあって彼は打ち倒されてしまった!」

合唱といくつかのソロ

ああ!


―休憩―

Copyright © 2013 Shuhei Oishi All Rights Reserved.

6 件のコメント:

schu-hey さんのコメント...

去年11月の投稿でお約束した、オネゲル「ダビデ王」のドイツ語からの私訳です。試訳の段階ですので、転載はご遠慮ください(あるいはご相談ください)。

schu-hey さんのコメント...

http://schu-hey.blogspot.com/2011_11_01_archive.html

schu-hey さんのコメント...

Wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%87%E7%8E%8B_(%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%82%B2%E3%83%AB)#.E5.8F.82.E8.80.83.E6.96.87.E7.8C.AE

schu-hey さんのコメント...

神名の訳について

 YHWHというイスラエルの神の名(テトラグラマトン)を、イェホヴァ/エホバと読むのは、現在、聖書学者によって誤りだと指摘されています。おそらくヤーヴェ、ヤハヴェと発音したのだと思われますが、ユダヤ教の伝統では、神の名をみだりに唱えることを恐れて、YHWHという子音に、adonai(主)という別の単語の母音をあてがってYaeHoWaHと表記し、朗読する場合には、子音と関係なく、アドナイ(主)と発音しました。ですから、文語訳聖書以前の聖書や「ものみの塔」の主張に見られるように、エホバという発音をすることは、本来のYHWHの読み方とは関係のない母音を無理やりまぜこぜにしてしまう誤りです。ここでの訳
で、しかしあえてイェホヴァとしたのは、ただ、詩人レネ・モラーが(時代の誤解に基づいているとはいえ)詩作当時、そう読んでいたことを配慮したからです。

いど さんのコメント...

こちらの内容とは関係ない検索でたまたま拝見しました.青空文庫でもやってしまった良くある間違いなのですが,日本の著作権法では,著作権は著作者が死亡した年の「翌年」の1月1日から起算して50年保護されます.したがって,モラーの著作が著作権切れとなるのは2014年1月1日でしたね.1年のフライングということですね(笑)

schu-hey さんのコメント...

いど さま
そうでしたか。ああ、失敗しました・・・。どうも丁寧にお教えいただいてありがとうございました。今後、よくよく気をつけたいと思います。