2013年9月29日

www.karl.landesmuseum.ch より

チューリヒのスイス国立博物館に、カール大帝(シャルルマーニュ)展を観に行ってきました。
行ってみると、たまたま入場無料の日でした。

この有名な大帝、来年死後1200年(!)の記念の年になるそうです。



―感想―

むかしむかし、学校の世界史の授業で触れたことのあるシャルルマーニュ。ヨーロッパの歴史にとって、また教会史にとって、とっても大事な人物だと再確認しました。

偉大な人物が生まれるとき、その背後には、多くの偉大な人たちが関わっているものですが、生年にすでに「大帝」と呼ばれたこの偉大な人物の周りにも、興味深いひとたちが集まっていたことを知りました。特に、聖なる者としての王という神学を展開したというヨークのアルクィンという神学者に関心を覚えました。

また興味深かったのは、シャルルマーニュの死後についての展示です。彼の死後、その存在は理想化され、イメージは膨れ上がり、その「像」で歴史を動かし続けたといっても過言ではなく、その事実は驚くべきものだと思いました。
チューリヒ・グロスミュンスターの
モデルを抱くピピンとカール。
彼らを囲むのは16世紀チューリヒの
教会および政治指導者たちのワッペン
(たとえば、一番左下は
「改革派教会の父」
ブリンガーもの。その隣は
ビブリアンダー。)

個人的には、やはり、わたしが現在住んでいるチューリヒの歴史との関わりに興味がわきました。

特に、チューリヒ・グロスミュンスター(大聖堂)の牧師館のステンドグラス(1551年)の展示には驚きました。そこには、カール大帝と大聖堂の絵があり、それを取り囲むように、ブリンガー、ビブリアンダー、ペリカンなど、宗教改革の指導者たち(第二世代)のワッペンが描かれていました。

チューリヒの「カール伝説」は、「首なし聖人フェリックスとレグラ」の伝説とも絡み合いながら、宗教改革前に既に膨れ上がっていたようですが、その後、宗教改革がこれとどう向き合ったのか、興味を持ちました。

というのも、宗教改革者たちは、「首なし聖人」などの古い聖伝説などと同じように、それと結びついた「世の為政者」の伝説も批判的に見たのだと、わたしはこれまで勝手に想像していたからです。

少なくとも、ツヴィングリの後継者ブリンガーがまだいたころの牧師館のステンドグラスは、その想像とは相容れない、ということになります。そういえば、大聖堂内部の多くの像は聖画像破壊の被害にあっていましたが、カール大帝のレリーフは今も完全な形で残っており、見ることが可能です。

この昔ながらの大帝の理想像は、宗教改革の第二世代でも、ある意味で「政治利用」された側面があったのでしょうか。そうだとすれば、この「聖なる王」が、チューリヒ改革教会における教会と国家の神学に及ぼした影響はあったのでしょうか。。。

どなたか詳しい方に、うかがってみたいと思いました。