2012年4月19日

W.シェイクスピア 『ハムレット』における「超自然」と「摂理」



Title page of the 1605 printing (Q2) 
シェイクスピアの悲劇において登場する超自然的存在は、常にその劇を左右する存在として描かれている。一つの例として、マクベスの人生を初めから終わりまで揺さぶり続けた三人の魔女の存在がわかりやすいだろう。彼女(彼?)らは、未来を予見する不思議な力を持ち、一人の勇敢な武将であった男を、手玉に取るように悲劇へと陥れる。その力を前にすると人間は、たちまちのうちにその弱さをさらけ出してしまうのである。シェイクスピアは、なぜこのような存在を、これほどまでの力を持つものとして、劇の一つの中心に据えたのであろうか。現代の科学者ならもしかすると「非存在」と呼びたくなるようなものに息吹を吹きかけ、超自然的「存在」としたシェイクスピアの意図を探ってみたい。

Hamletと亡霊
“Who’s there?”(1.1.1)
冒頭から響き渡るこの緊張感は、この悲劇の引き金であり、最も重要な存在である、亡霊の登場へと早くも我々観客を導く。登場人物(Barnardo,Marcellus)はその存在について、”this thing”1.1.21)、そして、”this apparition”1.1.27)と、次第に明らかにしていくのであるが、観客は、そのようにして次第に明かされていく亡霊という存在に、無意識のうちに注目するようになる。これは、明らかに、シェイクスピアが、この場において、亡霊を中心として描こうとしている意図を示している。
 だが、ここでHoratioという人物が現れ、実際に目にしないことには、そのような超自然の存在を受け入れることはできぬと、観客の代弁をする。ここで初めから、このHoratioという人物は、観客と同じ目線からこの物語を見ることのできる唯一の登場人物として認識される、つまり、観客は自分の意識とか考えを、Horatioを通して認識するようになるのである。(単純に言うことが許されるなら、「Horatio=(イコール)観客」という図式ができあがったと見ることができるかと思う。)こうなると、観客に亡霊の存在を実在のものとして認識させるのは容易になる。Horatioにして「亡霊存在せり」と宣言させればいいのである。そして、シェイクスピアは即座にHoratioに亡霊の存在が事実であると認めさせている(1.1.5658)。こうして、観客は、シェイクスピアの巧によって、超自然的な存在を、自然に受け入れてしまうのである。
Horatio, Marcellus, Hamlet, and the Ghost
 (Artist: 
Henry Fuseli 1798)
 さて、ここで、その亡霊の姿に注目してみたい。我々が一般に想像する幽霊、例えば、足の無いお化けのような成りで現れただろうか。そうではない。亡霊を目の当たりにした者たちは、口を揃えて、「亡き王Hamletの生前そのままの姿」(1.1.41)である、具体的には、「デンマーク王の出陣姿そのまま」(1.1.47)であると述べている。このことは、この超自然の存在を、人々にとって、特に王子Hamletにとって、そして、観客にとって、受け入れやすい存在としているもう一つの工夫ではないだろうか。また、殺された本人がその殺人劇について詳細に語るのである。これほどインパクトのある説明は他の者ではできなかったであろう。
 このようにして、私達は超自然的存在である亡霊を、違和感無く受け入れることになるわけであるが、しかしながら、その存在が、『マクベス』における魔女のように、人間を唆して悲劇の中に誘い込むような存在なのか、それとも、純粋に信頼のおける存在なのかは依然はっきりしない。父の亡霊と出会ったHamletがその直後に彼は味方であると述べている(1.5.138 ”honest ghost”)が、後に、第二独白の中で、あの亡霊は悪魔の仕業かも知れぬ(2.2.551555)とも言っている。この得体の知れない存在を前にして、人間は、混乱する他ないのである。
 Hamletにとって、乗り越えねばならぬことは、この混乱であった。亡霊の言葉を信じて復讐すべきか、それともさらに確かな裏付けを求めて時を待つか。その問いは次第に大きくなり、”to be, or not to be”(3.1.56)「生きるべきか、死ぬべきか」という人間普遍の問題
にまで膨れ上がっていくのである。こうなると、Hamletの考えすぎの性格が指摘されることになるのだが、私は、このような答えの見えない問いに悩まされるときに、人間誰もが同じように考えずにはおれないのではないかと思う。そういう意味でもまた、このHamletの姿は人間普遍の姿である。
 ともあれ、狂気と、混乱と、憂鬱と、様々な中にあって復讐を実行に移すことのできないHamletを諌めたのも、他でもない、父の亡霊であった。それは、いわゆる「私室の場」での出来事であるが、激情に任せて、母親を責めるHamletの前に現れ、向かうべき方向へ向くようにHamletの軌道修正を行ったのが、亡霊だったのである(.4.109)。ここでの亡霊の役割は非常に大きい。Hamletに、成すべきことを思い出させ、Gertrudeに対する人間的な扱いを要求する。これができるのは父であり、全てを知る存在である亡霊しかいない。これが亡霊の登場する最後の場面だということを考えても、この場の重要性は否定できないだろう。
 『ハムレット』における亡霊についてその位置付けを考えてきたが、初めの重要な位置、殺された本人が語る殺人のインパクト、そして、復讐の道から逸れたHamletの軌道修正と、復讐への道をHamletに備え、整えたという点で、亡霊の果たした役割は大変大きい。そして、この役割を果たすためには、極めてHamletに近い存在で、同時に、遠い存在である必要があった。この難しい位置付けを、シェイクスピアは超自然的存在として描くことによって成したのである。

The American actor Edwin Booth asHamlet, ca. 1870
Hamletと運命、摂理
 Hamletを復讐の道へと常に導き、立ち返らせていたもう一つの超自然的概念は、運命、もしくは、神の摂理である。この『ハムレット』という悲劇を一概に運命悲劇と呼ぶことは大きな間違いであるけれども、この劇において要所要所で働く運命の力を否定することはできないであろう。
 特に顕著でわかりやすい例に、Hamletがイングランドに行く船の上で海賊船に襲われ、デンマークに戻ってきたという出来事がある。これを運命と言わず何といおうか!Hamlet自身、この出来事の後にそれが「天の助け」(”heaven ordinant”(5.2.49))であったと振り返っている。そして、天をも後押しするこの復讐を、復讐としてよりむしろ、この世の外れた間接をもとに戻すこと、天からの使命、神意(”special providence”(5.2.192))であると捉え、必ず実行に移す決意を新たにしているのである。その使命感は、「Claudiusを野放しにしているほうが呪われる。」(5.2.68~70)と彼に宣言させるほどである。言うまでもなく、ここでHamletの復讐の決意を揺るぎないものにしているのは運命であり、摂理である。劇後半の彼は、この、目に見えない存在の後押しによって動かされているのである。これは、亡霊という(Hamletには)見える存在の後押しの上に積み重なることで、より大きな確信をHamletに与えた。
 しかしながら、忘れてはならないのは、運命には死も含まれているということである。Hamletはそのことを充分に承知していた。最終的にはHamletは自らの死を覚悟した上で、復讐に臨むのである。
そして、波乱の結末。多くの犠牲を出したこの悲劇の結末を眺めたときに、観客は、人間の力ではない何か超自然的な力に支配された人間の弱さを実感するのではないだろうか。
常に観客の代弁者であるHoratioはここでも観客と同じく、死せずして残る運命となった。そして、多くの犠牲の結果成されるであろう秩序の回復のために、責任を持って働く使命を担うのである。それは観客である私達にも求められていることなのかもしれない。

(2001年 @Schu-hey 文学徒時代)
*画像はWikipediaより
 



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