2012年4月20日

ドロステ=ヒュルスホフの詩(私訳)                 Annette von Droste-Hülshoff,                 Geistliches Jahr in Liedern auf alle Sonn- und Festtage


Ja, seine Macht hat keine Grenzen,
Bei Gott unmöglich ist kein Ding!
Das soll mir wie mein Nordlicht glänzen,
Da meine Sonne unterging.
Und wie auf blauen Eises Küsten
Steh ich zu starrer Winterzeit,
Annette von Droste-Hülshoff,
Gemälde von 
Johann Joseph Sprick(1838)
Wie soll ich noch das Leben fristen!
Ach, keine Flamme weit und breit!
Doch sieh! wer winktdem milden Lenzen?
Daß er die tote Erdumfing.
Ja seine Macht ist ohne Grenzen!
Bei Gott unmöglich ist kein Ding!

Annette von Droste-Hülshoff 
(1797 auf Burg Hülshoff bei Münster
 - 1848 auf der Burg Meersburg in Meersburg) 


Sämtlische Werke in zwei Bänden. 
Nach dem Text der Originaldrucke und der Handschriften.
Hrsg. von Günther Weydt und Winfried Woesler. Bd.1. München:
Winkler, 1973. S.601


()御力(みちから)(きわ)
御神(みかみ)(あた)
我が日沈みし今や, これ
我が北極光(オーロラ)()(たた)べし
かくも(あお)
立尽す我、(かじか)()(),
如何(いか)我、生命(いのち)
ああ, 遥かならんとも(ほむら)
(いな), 視よ!(たれ)
(いだ)小春者あ
()御力(みちから)し!
御神(みかみ)

アネッテ・フォン・ドロステ‐ヒュルスホフ

(私訳  © 2012 Schu-hey


―以下、上の肖像と共にWikipediaより―

Daguerreotypie 
der Dichterin, 1845
アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ(Annette von Droste-Hülshoff、1797年1月10日 - 1848年5月25日)は、ドイツの詩人。ヴェストファーレンミュンスターのヒュルスホフ城にて貴族の娘アンナ・エリーザベト・フォン・ドロステ=ヒュルスホフとして生まれる。兄達に混じってギリシャ語、ラテン語、フランス語、英語、イタリア語などを学び、早くから詩作を試み、また絵画、音楽にも才を示した。ミュンスター時代にはグリム兄弟の奨励を受け、後には哲学者ショーペンハウアーの妹アデーレと交流しその哲学上の感化を受けている。1826年、男爵であった父が他界し、リュッシュハウスの母に荘園に移り執筆と読書を中心とした閑雅な生活を送る。生涯独身で過ごし、1848年にボーデン湖メールスブルクのささやかな住居に移り住みここで死去した。主な作品にリュッシュハウス時代に書かれた「荒野風景詩」、宗教的な苦悩を書き表した「宗教の一年」など。職業的な作家ではなく興に任せて筆を取るという生活であっため作品は断片・未完に終わっているものも多いが、散文作品では唯一完成している中編小説「ユダヤ人のぶなの木」は、実際にあった殺人事件をもとにしながら農村部の人間模様や陋習を冷徹な筆致で描き、クライストの『ミヒャエル・コールハース』にも比せられている。

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