2011年10月30日

聖書翻訳の問題。隅の親石?それとも要石?

以下、ツィッター上の友人たちとのやりとりをきっかけに調べたこと
のまとめです。140字を重ねに重ねて長く書いてしまいました
ので、どこかにまとめる必要が生じましたし、
聖書に関心のある方に読んでいただきたく、ここにも載せておきます。

聖書に「隅の親石」「かしら石」「要石」などと訳される言葉が出てきますが
ヘブライ語はもともとどんな建築用語なのだろう、という疑問からはじまった
探究です。それは、建築物の最初の基礎・土台だったのか、それとも、すべてを完成
させる最後のものだったのか。Α(アルファ)かΩ(オメガ)か。
結論は、当たり前のことなのですが、その語が使用される
文脈によって違うというものです。

対話をしてくださった方は、ラテン語聖書の翻訳者、聖書に関心
のある建築家の方などで、とても深く楽しく対話ができたのでした。

感謝の思いもこめつつ。


2010年07月27日(火) tweets



 「隅の頭石」の「隅」と訳されるピンナー(n二度読み)。語源不明、動詞pnh(to turn, turn away)?ゴードン、ウガリットpnt(corners of the back)と関係指摘。ヨブ38.6,イザ28.16,エレ51.36で石と共に。 
posted at 18:46:55
詩118.22も冒頭石と関係、ヨブ38と同義。が直前の語は頭r's→直訳「建てるものらが拒んだ石が 隅のかしらとなる」。隅=角?ヨブ1.19「四つの角の家」。出エ38.2「祭壇の四隅」のツノに神学的意味?隅は古く指導者暗喩 士20.2,サム上14.38
posted at 19:16:33
隅、角両方の意味領域を持つ語はないのかな、分かりません。現時点では口語「隅のかしら(石)」が良いのではないでしょうか。文語「造家者らの棄てたる石は、これぞ隅の首石(おやいし)となれる」はメロディが好みではありますが・・ラテン語では?教えてください。
posted at 19:31:27
「造家者」に「いへつくり」とルビを打てる、これが文語訳聖書のいいところ。
posted at 19:32:50
文語聖書はしばしば漢字で直訳的意味を表し、ルビでメロディとリズムを作るという役割分担をしているよう。この在り方の場合、聴くに美しいが、見て意味を深めることも必要。日本の教会が、聴くことに重点をおく伝統を受け継ぐが、時にそれを損なうようでも皆聖書を持参し文字を目で追ってきた理由?
posted at 19:50:44
あるいは、漢語と和語の両方を共に用いた結果、そのような役割分担に見える部分が生れたということかもしれないが。意味か音か、漢語か和語か、どちらかを選ばなければならないような事態に直面して頭を抱えがちな最近の聖書翻訳者の苦労を思いつつ・・・。
posted at 19:56:19


2010年07月28日(水) tweets




(ラテン語からの「壁龕」という訳語の提案をうけて) 思いがけない訳で興味深いです。良く理解するため質問させてください。古代オリエントの建築技術としての壁龕(ニッチ?)というと、どういうものですか?神殿等の壁か柱を穿って物を置いた場所のイメージですか。その頭石とは?詩篇以外も統一して壁龕と訳されますか。
posted at 07:25:22
それともニッチでなくアーチのようなものの楔石を考えておられるのでしょうか。
posted at 07:33:24
面白く眠れませんが280字のみ!土台でなく複数ありえた壁龕の枠アーチの楔石との理解ですね?家に限らず城門もOKですか。イメージ具体的で小さな石も文脈から合いそうですね。未確認でも古代オリエントでニッチにアーチは想像できます。問題は考古より文献学ですね。
posted at 08:43:56
新約は詩篇引用、ヘブ―ギリ他の順に考察。ヘブ/ウガ関連ありとすると角との第一義が捨てがたく、諸訳γωνία、angulus他も第一義は角/隅。訳による限定は好まないとすれば、隅と訳し町や家屋の要所の(城)壁ニッチ/アーチと解釈するのは?代下26.9参照
posted at 09:12:37



2010年07月29日(木) tweets



夏の休みの期間、チューリヒの夜行電車も休みになるとは知らず、昨日の夜は大学に泊まり、早朝帰宅。それからなんだかんだで今は午後14時です。遅くなりましたが「隅のかしら石」と訳された言葉について、昨日調べたことをメモします。
posted at 21:09:48
沢山参照しましたが、とくに辞書ではThWAT、詩篇注解ではH.J. Kraus, Zenger(今年死去され残念!)/Hossfeld、新約論文ではJ.Jeremiasに学ぶところ大。今回私は詩篇118に焦点を当てメモします。が、まず辞書的概観から。
posted at 21:18:07
ピンナー;旧約30例中23例建築用語。他は門の名(ザカ14)、公重職名等の転義。預言書イザ・エレ・エゼの各二、三例や詩篇唯一の例等、格言引用中の場合文脈毎神学的意味の付加があり、引用者により建築用語の知識が違う。いずれにせよ第一義は角つまり転回点、線の交点。孤(hamuq)と別。
posted at 21:42:29
格言的意味も展開し広まった表現ローシュ/エーベン・ピンナー(ピンナーの頭/石)の本来の意味が①建築完成を象徴するBauschlußstein (アーチ等の要石、楔石等/エレミアス)か②基礎・土台を象徴するEckstein/Grundstein(所謂隅の石、礎石)か決定的論拠なし。
posted at 21:49:54
①に含むか、Zinne鋸/凸壁、小尖塔の意も(ゼカ1.16)。①か②かは引用者の理解に依存。明らかに高みにある角を文脈で取れる場合は①、基礎・土台の意味が引き出される文脈では②と解釈する。エレ51.26のように並行法の対の語を同義ととるか対義ととるかで①②解釈分かれる例も。
posted at 22:07:00
イザ28.16は同盟政治の欺瞞への叱責の文脈。「礎」と同義の②として引用。動詞時制により解釈分かれるが主による過去の礎(シオン、神殿、ダビデ王朝の選び)か、先の基礎付け(残りの者、真の信仰者[クムラン]ないしメシアの選び)を告げる内容。LXXギリ訳にメシア希望と読ませる意図あり。
posted at 22:16:25
詩118は祭儀/感謝祭の座をもつ。共同体で繰り返し朗読されたろう。ヘブル詩らしく語り手人称変わる。個「我」-共同体「我ら」の結び付き。我はイスラエルの擬人格とも共同体の代表者的個とも取れる。後者の展開がユダヤ人訳のLXXが意図し、新約の教会が確信するメシア信仰。
posted at 22:32:45
詩篇118.22は5-18の神による驚くべき「我」の救いを神学的に説明する意図。救いをどう解釈するかが鍵。①完成か②基礎付けか。棄てられた石を新しい神の家の②土台とする(ThWAT)か、今目の前に立とうとしている家の①完成に役立てるため神が見出す石(ツェンガー)か、解釈史は多様。
posted at 22:39:55
ツェンガー/ホスフェルトは解釈史の幅を認めつつ、これが新しい家でないとすれば、建物の隅の礎でなく建物の上の安定に欠かせぬ切妻か要石として「目」(23節)に見えて役立てられたものだと解釈する。家は引用格言中の表現で「城門」(19)のイメージを詩人が持ったかもしれない点も解釈の幅。
posted at 22:48:29
結論は文脈により断言的に①②を解釈に選べる場合と、そうでない場合があり、特にそうでない場合解釈の源泉となり、後代の神学的展開の豊かさを産んだということ。ここで翻訳の役割の問題がある。一つの解釈を提示する訳か、解釈の幅を残し説き明かしを待つ訳か。学者訳は前者、教会訳は後者が多い。
posted at 22:59:54