2013年12月19日

旧約聖書 創世記22章 私訳 (シャガールとペルシャ美術のおまけ付き)


ヘブライ聖書の創世記22章の私訳です。

一. これらの事どもの後のこと。   ダーバール 前章との関わりcf. Gn15,1
   だが 神(エロヒーム)は試された アブラーハームを。
 
   そして、言われた 彼に
   「アブラーハームよ」

 すると、彼は言った。
   「見よ私はここに」

二. そこで、言われた。
   「取れ、さあ、あなたの息子
             あなたの独り子―愛する者―を
              イツハークを!    cf. Gn12,1「地、故郷、家」
   そして行き往け、あのモリヤー(?)の地へ       cf. Gn12,1 
     そして立ち昇らせよ 彼を そこで 「(燔祭の煙を)捧げよ」の意    
            *燔祭として  原意「立ち昇るもの」=全焼の献げ物 Gn8,20, Lv1-7
          あの山々の一つ―あなたに言うところ―に。」

三. そこで早く起きた、アブラーハームは その(翌)朝に神の時
    そして鞍置きした 彼の荷ロバに としての早朝Gn19,27; 20,8; 21,14   
     そして取った 彼の二人の若者(男子)らを 彼と共に
               またイツハーク―彼の息子―を。 
      そして行った あの場所
      ―神(エロヒーム)が彼におっしゃったところに―。 

四. *三日目    cf Gn31,22; 42,18; Ex3,18; 15,22; 19,11; 15,16;Nu10,33; 19,12,19;...
    そして上げた アブラーハームは 彼の目を
    そして*見た あの場所を 遠くに。  モリヤーの語源の一説
                                           「YHは見る」を思わせる? 
五.  そしてアブラーハームは言った 彼の若者らに。
    「座れ お前たちは こちらに その荷ロバと共に「残れ」の意 
     だが私と この若者は 行こう あちらまでイツハークの若さ  
     そして伏し拝み   「礼拝する」の意。cf Gn24,26; Ex20,5; Ps5,8;
     それから 私たちは戻る お前たちのところへ。

六. そして取った アブラーハームは 燔祭木々
    そして置いた イツハーク―彼の息子―の上に。   
    そして取った 彼〔自身〕の手に を      「火打石」の意か
                    そして小刀を。   原意「食器具」
    そして行った 彼ら二人は 一緒に。   

七. するとイツハークは言った アブラーハーム―彼の父―に。
    すなわち曰く
    「我が父よ」
    
    そこで言った
    「見よ私はここに我が息子よ。」

    すると言った
    「ここに 木々が。
     けれどもどこに 燔祭動物が。」 「羊」か「山羊」等の可能性 
   
八. そこで言った アブラーハームは。
    「神(エロヒーム)が 御覧になろう そのために
                動物を、燔祭のために、我が息子よ。」
    
    そして行った 彼ら二人は 一緒に
    
九. そうしてやって来た あの場所
     ―神(エロヒーム)が彼におっしゃったところに―。 

    そこで築いた そこに アブラーハームは 祭壇を。
    そして並べ据えた 木々を 
    そして縛った イツハーク―彼の息子―を聖書中ここだけの動詞 
    そして置いた 彼を その祭壇の上に
                  その木々の頂に。

一〇.そして アブラーハームは伸ばした 彼の手を  
    そして取った あの小刀を 殺すために  彼の息子

 一一.すると呼んだ 彼を 主(YHWH)の御使いが 天から

     そして言った。
     「アブラーハーム、アブラーハーム。」 

     そこで言った。
     「見よ私はここに。」

 一二.すると言った。
     「いけない 伸ばしては あなたの手を その若者に。
      いけない しては 彼に対して 何事も。
       実に 今こそ 私は知ったからだ          ´attah
        実に、あなたこそ                  'attah
          神(エロヒーム)を恐れていると。
      そして あなたは 引き抑えかった  
        あなたの息子
         あなたの独り子を 私から。」
      
 一三. そして上げた アブラーハームは 彼の目を
      そして見た 
      否、見よここに、 一頭の子羊!
       これがとられていた 藪の中に その角を。
      そこで取った その子羊を。
      そしてそれを立ち昇らせた  燔祭として
        彼の息子 の代わりに。
      
 一四.そして呼んだ アブラーハームは 
      この場所の名を 
       アドナイ(YHWH)・イルエーと 「YHWHは御覧になる」の意
     ―今日 言われているとおりである
      「主(YHWH)の山に 幻あり」と―。

 一五.すると 呼んだ 主(YHWH)の御使い
      アブラーハームを 二度目に 天から   cf. Gn22, 11 
 一六.そして言った。
     「実に、私は私自身にかけて誓ったのだ。  Jer22,5 Heb6,13-14
       ―主(YHWH)の託宣―
      実に、この事を あなたが果たしたために   ダーバール
       そして あなたは 引き抑えなかった  
        あなたの息子
         あなたの独り子を。
      
 一七. 実に、祝福もて祝福しよう
      そして、増やしに増やそう
       あなたのを 天の星々のように「子孫」:の意
                   cf. Gn 15,5, 26,4, Ex32, 13, Deu1,10, 10, 22, Jer33, 22, Heb 11, 12
       また 海の唇の砂のように。 「海辺」の意 
df. Gn13,16, 28, 14, Num23,10, Jes48,19, Jer33,22, Rom4,18, Heb11,12
テル・アラド(イスラエル)のYHWH神殿。犠牲の祭壇と奥には至聖所(前十~八世紀)
     そして 跡継ぐだろう あなたのが 彼の敵の門を。
                               新共同訳「勝ち取る」
 一八.そして 祝福されるだろう あなたの種によって
      全ての地の国民が
     実に あなたが聞いたからである 私の声に」。
 
 一九.そこで 戻った アブラーハームは
 彼の若者のところへ cf Gn22, 5                
       そして 彼らは立ち上がり
       そして 行った 一緒に ベエル・シェバへ。  *↓「住む」の意
        そして 座った アブラーハームは ベエル・シェバに。


 二〇. これらの事どもの後のこと。
      アブラーハームに 曰く
     「見よここに、産みました ミルカーもまた 息子らを
        ナーホール―あなたの兄弟の―ために、

 二一.    ウーツ―彼の長男―を
         そして ブーツ―彼の兄弟―を
         そして ケムーエール―アラームの父―を
 二二.    そして ケセドを  
         そして ハゾーを
         そして ピルダシュを 
         そして イドラーフを 
         そして ベトーエールを」。
                                       *↓「(父として)もうけた」の意
 二三. さて、ベトーエールは産んだ リブカーを。
      これら八人を 産んだのである ミルカーは
       アブラハームの兄弟のために。
  
 二四. 一方、彼の側女で、
        すなわちその名はレウーマー(という者がいた)。
       そして産んだ 彼女もまた 
        
        テバーを
        そして ガハムを
        そして タハシュを
        そして マアカーを。  
        
            
----------------おまけ-------------

くらべてみてください・・。


ユダヤ的イサク奉献(左、シャガール)と
ムスリム的イスマイール奉献(右、15世紀ペルシャ)

うーん、やっぱり兄弟はよく似るものだなぁ?

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私訳 二〇一三年九月六日
改訳 一一月
©schu-hey2013


2013年10月18日

新巻 『カルヴァンと旧約聖書 カルヴァンはユダヤ人か?』 (カルヴァン・改革派神学研究所叢書「改革教会の神学」1) 

2013年10月25日(もうすぐ!)
教文館より カルヴァン・改革派神学研究所編
『カルヴァンと旧約聖書―カルヴァンはユダヤ人か?』が出版されます!
(教文館HP)

2009年、日本キリスト教会カルヴァン・改革派神学研究所の主催で、スイスのチューリヒやドイツ・東フリースラントのエムデンから三人の先生方が招かれ、「カルヴァン生誕500年記念講座(カルヴァン500)」が開かれました。本書はその報告・記録・反響を集めたものです。わたしも、実務委員として関わらせていただいた経緯から、セミナーの準備と研究の報告として、カルヴァンの詩篇解釈に関する一文を書かせていただきました(報告というにはちょっと長くなりましたが…)。個人的にも、「生涯の研究テーマ」となるだろう主題のひとつを与えられたきっかけの講座でした。すばらしい講演をしてくださった先生方、ワークショップに参加し生き生きとした議論をご一緒に楽しんだ出席者の方々、出版のために長く労された研究所と教文館の皆様への感謝を覚えつつ、待ちに待った出版のお知らせをとても喜んでいるところです。

以下 帯より 「2009年にカルヴァン生誕500年を記念して、全国で開かれた講演や説教を収録。現代ドイツ語圏におけるカルヴァン・改革派研究の第一人者が、歴史の深みと信仰の魅力を存分に語る。カルヴァンの旧約聖書解釈の他にも、当時のジュネーヴの出版事情や、教会における音楽や建築、倫理の問題など、多岐にわたる主題を取り扱う。カルヴァンの信仰と思想を現代に受け継ぐための道しるべ。」

以下 目次

はじめに 「カルヴァン生誕500年記念講座」開会挨拶 南純

第1章 「カルヴァン500」へ
1 セミナー報告 カルヴァンと旧約聖書 大石周平

第2章 「カルヴァン500」
1 プログラム
2-1~3 礼拝説教 P.オピッツ/W.シュルツ/A.ラウハウス
3-1 主題講演 カルヴァンの旧約釈義 P.オピッツ
3-2 協力講演(1) 出来事と公共性 W.シュルツ
3-3 協力講演(2) ジュネーヴ詩篇歌と旧約釈義 A.ラウハウス
4 ワークショップ 詩篇46篇と138篇について P.オピッツ
5-1 神学校特別講義 改革教会と旧約聖書 A.ラウハウス
5-2 教文館特別講義 改革教会の教会建築と礼拝にとって持つ意味 A.ラウハウス

第3章 「カルヴァン500」から
1 「カルヴァン500」に出席して 大住雄一
2 カルヴァンにおける礼拝と社会倫理の結びつき 菊地純子

編者あとがき 菊地信光
学術社団「カルヴァン・改革派神学研究所刊行会」規約

以下 帯裏面より
「日本にある教会が、カルヴァンの詩篇理解を知ることで得られる益は大きいと思われる。私たちのこの地での歩みは、具体的な守りと力に囲まれているとは言えず、常に不安定に揺れ動く少数者の群れとしての歩みだと言わざるを得ないからである。カルヴァンが亡命者の唯一の避け所とした神のみ言葉により頼むことは、私たちの文脈でも確認されなければならない。それは、聖書の源泉から溢れるものを汲み出すという喜ばしい仕事を通してのみなされることである。(本文より)」

2013年9月29日

www.karl.landesmuseum.ch より

チューリヒのスイス国立博物館に、カール大帝(シャルルマーニュ)展を観に行ってきました。
行ってみると、たまたま入場無料の日でした。

この有名な大帝、来年死後1200年(!)の記念の年になるそうです。



―感想―

むかしむかし、学校の世界史の授業で触れたことのあるシャルルマーニュ。ヨーロッパの歴史にとって、また教会史にとって、とっても大事な人物だと再確認しました。

偉大な人物が生まれるとき、その背後には、多くの偉大な人たちが関わっているものですが、生年にすでに「大帝」と呼ばれたこの偉大な人物の周りにも、興味深いひとたちが集まっていたことを知りました。特に、聖なる者としての王という神学を展開したというヨークのアルクィンという神学者に関心を覚えました。

また興味深かったのは、シャルルマーニュの死後についての展示です。彼の死後、その存在は理想化され、イメージは膨れ上がり、その「像」で歴史を動かし続けたといっても過言ではなく、その事実は驚くべきものだと思いました。
チューリヒ・グロスミュンスターの
モデルを抱くピピンとカール。
彼らを囲むのは16世紀チューリヒの
教会および政治指導者たちのワッペン
(たとえば、一番左下は
「改革派教会の父」
ブリンガーもの。その隣は
ビブリアンダー。)

個人的には、やはり、わたしが現在住んでいるチューリヒの歴史との関わりに興味がわきました。

特に、チューリヒ・グロスミュンスター(大聖堂)の牧師館のステンドグラス(1551年)の展示には驚きました。そこには、カール大帝と大聖堂の絵があり、それを取り囲むように、ブリンガー、ビブリアンダー、ペリカンなど、宗教改革の指導者たち(第二世代)のワッペンが描かれていました。

チューリヒの「カール伝説」は、「首なし聖人フェリックスとレグラ」の伝説とも絡み合いながら、宗教改革前に既に膨れ上がっていたようですが、その後、宗教改革がこれとどう向き合ったのか、興味を持ちました。

というのも、宗教改革者たちは、「首なし聖人」などの古い聖伝説などと同じように、それと結びついた「世の為政者」の伝説も批判的に見たのだと、わたしはこれまで勝手に想像していたからです。

少なくとも、ツヴィングリの後継者ブリンガーがまだいたころの牧師館のステンドグラスは、その想像とは相容れない、ということになります。そういえば、大聖堂内部の多くの像は聖画像破壊の被害にあっていましたが、カール大帝のレリーフは今も完全な形で残っており、見ることが可能です。

この昔ながらの大帝の理想像は、宗教改革の第二世代でも、ある意味で「政治利用」された側面があったのでしょうか。そうだとすれば、この「聖なる王」が、チューリヒ改革教会における教会と国家の神学に及ぼした影響はあったのでしょうか。。。

どなたか詳しい方に、うかがってみたいと思いました。

2013年9月9日

コンラート・シュミート 『旧約聖書文学史入門』


K・シュミート教授(チューリヒ)の『旧約聖書文学史入門』が、もうすぐ邦訳で読めます。教授は、訳者山我哲雄教授とのやり取りから、邦訳は大変正確なものになっているでしょう、と仰っていました。

Konrad Schmid, Literaturgeschichte des Alten Testaments -Eine Einführung, WBG(Wissenschaftliche Buchgesellschaft), Darmstadt, 2008: Von diesem Buch erscheint demnächst eine japanische Übersetzung.

http://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/71728

2013年8月26日

Die Predigt zur Trauung von J&O “Die Liebe - der allerhöchste Weg“


Am letzten Wochenende habe ich einge Gelegenheit gehabt, bei einer Trauung meiner Freunde zu predigen. Der Bräutigam ist aus Europa (Deutschland) und die Braut ist aus Asien (China). Die Hochzeit wurde mit einem japanischen Prediger bei Lago Como in Italien stattgefunden: Das war so international! Ich habe den Predigt auf Deutsch und Japanisch vorbereitet und der wurde noch ins Chinesisch und Englisch übersetzt, für alle Teilnehmer aus Ost und West. Herzlichen Glückwunsch, J & O!

"Die Liebe -der allerhöchste Weg" 
Neues Testament: Erster Korintherbrief 12,31b-13,13

Liebe J, lieber O!

Heute seid ihr vor Gott und vor uns einen Ehebund miteinander eingegangen. Nun glauben wir fest daran, dass Gott eure Worte des Versprechens gehört hat. Diese Hochzeitsgemeinde - aus Ost und West versammelt, aus beiden Familien, aus dem Kreis der Freunde und Bekannten – alle haben als Zeugen eures Ehebundes gesehen und gehört, was ihr gelobt und versprochen habt. Und alle werden wir euch bald in unterschiedlichsten Sprachen gratulieren: 恭喜恭喜 (gonxi gonxi) / Congratulations / おめでとう(omedetou) / Herzlichen Glückwunsch!

Dieses erfreuliche Ereignis ist zugleich ein Beginn eines neuen Wegs. Dieser Weg liegt vor euch, auf dem ihr zu zweit – verbunden durch Gott - Hand in Hand geht. Habt Ihr schon eine Vision, ein
konkretes Bild des gemeinsamen Lebens im Kopf? Ich denke, es wäre toll, wenn Ihr einige konkrete Vorstellungen dieses Wegs schon von Beginn an hättet – quasi wie ein Reiseführer des Lebens.

Ich möchte euren Weg mit der Seidenstraße vergleichen. Die Seidenstrasse verbindet schon seit der Antike die östliche Welt mit der des Westens. Stellt euch eure persönliche Seidenstrasse als ein Weg der Begegnung und des Austauschs vor! Da treffen verschiedene Kulturen aufeinander, und der Weg wird nicht immer leicht und eben sein. Da wird es lebhafte Freude, aber sicher auch
Spannungen, Sorge oder auch Streit geben.

Die Seidenstrasse ist lang! - um solch einen Weg durchzustehen, werdet ihr oft tapfer sein müssen, damit ihr über die Länder- und Sprachgrenzen, sowie Kulturunterschiede hinweg miteinander gehen könnt. Ihr werdet Kraft brauchen, um einander helfen und eich gegenseitig unterstützen zu können. Und dazu braucht Ihr sicher noch einige andere starke Menschen, die helfen und euch unterstützen können: Ja, liebe Hochzeitgemeinde, das Paar braucht Sie auf seinem Weg!

Vor allem aber braucht das Ehepaar etwas, das bis zum Ende bleibt: Da sind zum Beispiel Vertrauen und Hoffnung, damit ihr die Kraft bekommt, um immer weiter gehen zu können. Was ich aber vor Allem nennen möchte, etwas, dass ihr vom Anfang bis zum Ende brauchen werdet, ist: Die LIEBE! - Wie wir gerade gehört haben: Die Liebe.. die alles trägt, die alles glaubt, die alles hofft, die alles erduldet(1.Korinther 13, 6)!

Paulus, einer der Gründerväter der Christlichen Kirche, hat diese Liebe auch als “Weg“ bezeichnet; als einen „Weg, der weit besser ist” (1.Kor.12,31b). Diese Liebe als Weg also. Das ist für uns das zweite Bild dieser Seidenstraße! In diesem Fall ist „der Weg” die Lebensweise. Und dieser Weg ist nach Paulus “der weit bessere“, das heißt; “der allerhöchste“ oder „der grenzüberschreitende, unübertreffliche Weg”.

Diese Liebe als Lebensweise...; das klingt in der Tat anders als eine romantische, sentimentale
Stimmung. Die Liebe in diesem Sinne ist doch nicht ganz so - „süß“. Nein, die Liebe ist - nach Paulus - wachsam, tapfer und mutig. Oder wie es Jeremias Gotthelf ausdrückte: Je tiefer, desto
schmerzhafter ist die Liebe. Die Liebe leitet uns in ein spannendes, volles Leben, das jedoch auch viel breitere Horizonte hat und einen tieferen Seelenfrieden birgt.

Das erste Merkmal dieser Liebe nach Paulus ist die Ausdauer, einer Liebe die alles erträgt und
erduldet, wie vorhin gehört.

Die Liebe hat einen langem Atem,
     gütig ist die Liebe, sie eifert nicht.
     Die Liebe prahlt nicht, sie bläht sich nicht auf,
     sie ist nicht taktlos, sie sucht nicht das ihre,
     sie lässt sich nicht zum Zorn reizen, sie rechnet das Böse nicht an.
     Sie freut sich nicht über das Unrecht, sie freut sich mit an der Wahrheit.
Sie trägt alles,
     sie glaubt alles,
     sie hofft alles,
sie erduldet alles.

Hier bilden Begriffe wie, einen "langem Atem" haben, “tragen” und “erdulden” einen Rahmen, der
viele Tugenden umschließt, die jedoch auch mit nicht so angenehmen Situationen in Verbindung
gebracht werden können. Doch, was auch beachtenswert ist, sind zwei positive Verben, nämlich;
„glauben/vertrauen“ und „hoffen“. Paulus sagt, dass die Liebe alles glaubend trägt und hoffend erduldet. Die Geduld der Liebe ist in der Tat so grundlegend positiv, dass die alles glaubt und alles hofft, weil sie auf die Vollziehung des Glaubens vertraut, und zugleich, weil sie die Erfüllung der Hoffnung voraussieht.

Paulus selbst war z.B. jemand, der vieles erleiden musste: Er schrieb, dass sein ängstliches Herz
keine Ruhe fand, sondern „nur Bedrängnis von allen Seiten: "von außen Kämpfe, von innen Ängste“ (2. Korinther 7,5). Gerade in der Bedrängnis sagt er jedoch, dass „...wir wissen: Bedrängnis schafft Ausdauer, Ausdauer aber Bewährung, Bewährung aber Hoffnung.“(Neues Testament, Romer5,4) Paulus hat also tatsächlich erlebt, dass die Geduld wirklich Früchte bringt. Die Liebe dauert darum fort, weil sie daran glaubt, dass am Ende der Geduld etwas Positives steht. Die Liebe kennt und hofft auf das Ende. Die Ausdauer der Liebe, die in der Finsternis scheint.

Als Beispiel solcher Liebe mit Ausdauer und Hoffnung erinnere ich mich an zwei Gedichte von zwei historischen Figuren der Neuzeit; Dietrich Bonhoeffer aus Wroclaw (Breslau) (1906-1945) und Chùnbêng Ko (Chun Min Kao) aus Tainan (Südlich von Taiwan) (1929-). Lasst mich euch sie vorstellen. Der deutsche Theologe Dietrich Bonhoeffer, der 1945 in der letzten Phase der Nazizeit hingerichtet wurde, hatte einmal diese Liebe mit seinen Worten so ausgedrückt: „Die Liebe kann warten, lange warten, bis zum letzten warten. Sie wird nie ungeduldig, sie will nichts übereilen und erzwingen“ (Bonhoeffer, Schriften, Bd.5, 544).

Von ihm gibt es ein Gedicht, welches 1944 geschrieben wurde. Es wurde in der Finsternis der Weltgeschichte und des Lebens geschrieben. Jedoch ist es übervoll von Vertrauen und Hoffnung - wie das Licht einer Kerze, das in der Finsternis leuchtet:

Von guten Mächten wunderbar geborgen 
  erwarten wir getrost, was kommen mag.
Gott ist bei uns am Abend und am Morgen
  ganz gewiss an jedem neuen Tag.“

(Bonhoeffer, Neujahrsgedicht zum Jahreswechsel 1944/45 aus der Haft)

Dieses wunderbare Bild des Vertrauens und der Hoffnung! Das war für ihn eine Vision, die von der
Liebe kommt.

Das zweite Gedicht ist aus Ostasien und hat eine ähnliche Vision; das Gedicht von Pfarrer Ko. Pfarrer Ko aus Taiwan wurde im Verlauf der Bewegung der Demokratisierung ins Gefängnis geworfen und hat dieses Gedicht in der Finsternis des Zuchthauses geschrieben. Viel später hat er das auf japanisch in einer Kirche in Japan gelesen. Ich war damals erst zwölf Jahre alt und erinnere mich noch daran, dass ich weinte als ich es gehört habe. Das Gedicht heisst;

„Kaktus und Raupen“. 

Ich bat um.. ein schönes Bouquet
Doch gab mir Gott einen Kaktus voller Dornen.

Ich bat um.. einen lieben Schmetterling
Doch gab mir Gott viele scheußliche Raupen.

Ich...
beklagte, war betrübt und enttäuscht

Viele Tage sind vorbei gegangen
Dann machte ich große Augen:

Der Kaktus trieb schöne Blüten, die in großer Menge blühten
Die Raupen wurden zu Schmetterlingen, die liebvoll mit dem Frühlingshauch flatterten.

Wunderbar ist Gottes Plan.

Ko und Bonhoeffer haben in ihrer Schwachheit gewartet, bis die schwarze Nacht zu Neige geht, bis der Morgen der Befreiung kommt! Sie hatten die starke Vision der Hoffnung in der Schwachheit. Ja, die Stärke in der Schwachheit ist ein Merkmal der Liebe. Sie hatten die Liebe. Darum wurden ihre Seelen nicht überwältigt, auch wenn ihre Körper vom Tod bedroht wurden.
Damit verraten sie uns die Lebensweisheit der Liebe, die auch in der Bibel überliefert ist: „Die Liebe ist stark wie der Tod“!(Hohelied 8, 6-7):

Alle Gedichte, die wir gehört haben, haben etwas gemeinsam, nämlich, das Blickfeld der Hoffnung
und Zuversicht, und die Ausdauer der Liebe. Ich glaube, dass diese Vision auch für euch der
Wegbegleiter des Lebens sein kann. Vom Anfang an bis zum Ende..

Liebe J, lieber O,
unser Predigt-Thema wurde schon ein bisschen schwer für eine Hochzeit. Aber O, du hast einmal
gesagt, dass die biblische Liebe nicht eine romantische sentimentalische Liebe ist, sondern eine Liebe des Dienstes. J, du hast während der Vorbereitung vor der Taufe und Trauung bekräftigt, dass die Liebe nicht die leichte und billige Gnade ist, sondern teuer ist. Was wir drei während der
Vorbereitung dieser Feier und dieser Predigt aufs Neue gelernt haben, ist die Tiefe und die Stärke dieser Liebe.

In der Bibel werden Gott und Mensch (oder Volk) mit einem Ehepaar verglichen. Gott war und ist
damit ein Liebespartner der Menschen, der mit Menschen einen Bund der Liebe geschlossen hat. In diesem wurde versprochen, dass die Bündnispartner einander dienen sollen. Deshalb ist die Liebe die Zusammenfassung des Weges (der Lebensweise).Jesus von Nazaret hat zwei alte israelische Überlieferungen aus der Bibel als Zusammenfassung aller Gesetze zitiert und gelehrt, dass „die Gottesliebe“ und „die Nächstenliebe“ einfach Alles ist.

Jesus war der Mensch, der nicht nur mit dem Wort gelehrt hat, sondern auch mit dem Tat.
Nach dem Neuen Testament hat er die Lehre in seinem Leben umsetzt. Er hat die Liebe bis zum Tod am Kreuz durchgesetzt. Was das Kreuz aufgezeigt hat, war die dienstbereite, opferbereite Liebe Gottes. Der Tod des Gottessohnes hat bildlich gezeigt, dass Gott erduldet. Gott liebt die Menschen so sehr, dass er auf Kosten seines bzw. Jesu Leben, unser Leben retten will.
Bitte stellen Sie sich, liebe Gemeinde, die Bilder der Kreuzigung Jesu Christi vor. Genau das war das Bild von Jeremias Gotthelf, als er sagte: „Je tiefer, desto schmerzhafter ist die Liebe. Unser Bild vom „Weg der Liebe“ erreicht nun den Höhepunkt, weil wir jetzt ein konkretes Bild davon haben, dass Gott selber die Liebe ist!! Gott ist die Liebe (Neues Testament, Der erste Brief des Johannes 4, 8).

Das ist es was Jesus im Leben und im Tod gezeigt hat. Die Kreuzigung Christi als Beweis für die
Liebe Gottes, die sogar stärker als der Tod ist. Da ist es kein Wunder, dass diese Erkenntnis der Liebe Gottes mit dem besonderen Glauben der Auferstehung verbindet. Das ist der Glaube daran, an der ewigen Liebe, das heißt, dass Gott den Menschen durch Jesus Christus deswegen ewiges Leben gibt, weil die Liebe stärker als der Tod ist.

Lieber O, liebe J!
Nun sage ich euch aufs Neue, obwohl Ihr schon mit der Liebe erfüllt worden seid: Liebet ihr
einander! Das ist die allerhöchste Lehre, die zugleich alt und immer wieder neu ist. Liebet auf jeden Fall! Wir haben bis jetzt überlegt, wie tief und schwer die Finsternis des Zanks, Hasses und Todes ist, dann ist es uns immer mehr klar geworden, wie wunderbar die Liebe ist! Wir haben heute bestätigt, dass Gott die Liebe ist. Wo es die Liebe gibt, ist auch Gott. Nun bin ich überzeugt: Eure Liebe ist ein Zeichen der Liebe Gottes! Immer wenn ihr auf dem Weg des Lebens einander liebt, liebt Gott euch unbegrenzt. Eure Begegnung in der Vergangenheit, euere Liebe in der Gegenwart, eure Hoffnung für die Zukunft. Alle sind vor den Augen Gottes in einer Vision lebendig. Gott sieht eure Liebesbeziehung und so habt Ihr das Glück, Gott in eurer Beziehung zu sehen.

„Beziehung“? Nein, das ist zu schwach in diesem Zusammenhang. Vielmehr ist das ein „Bund“. Der Ehebund. Der Liebesbund. Der Bund ist eine mystische Realität, die eure Körper, eure Herzen und eure Seelen wie EIN Fleisch, wie EINE Persönlichkeit und wie EIN Geist bindet. Das ist die Sache Gottes. Ihr seid damit quasi eine neue Schöpfung! Darum soll man nicht trennen, was Gott verbunden hat!

Liebt einander, in Hong Kong oder wo immer ihr leben werdet. Die Seidenstrasse des Lebens ist nicht immer flach und eben. Fürchtet euch jedoch nicht davor. In der Bibel steht auch; Furcht ist nicht in der Liebe, nein, die vollkommende Liebe treibt die Furcht aus (Die erste Brief Johannes 4, 18, Ihr habt die Predigt-CD von Karl Barth über diesen Text gehört, als Vorbereitung dieser Trauung)!

Ihr habt nun eine Vision der positiven Liebe. Wenn ihr euch also auf eurem Weg verlaufen würdet,
dann erinnert euch an diese Vision. Dieser Reiseführer wird euch die richtige Richtung zu ihrer Zeit zeigen, und mit väterlicher (oder mütterlicher?) Stimme sagen:

„ Hört Ihr, Oliver und Jessie. Wenn Ihr Glaube, Hoffnung und Liebe als eure Wege nehmen werdet, dann wird alles in Ordnung sein. Diese drei sind immer eure Wege. Aber - vergesst es nicht – die Liebe jedoch ist der allerhöchste Weg. Wenn Ihr euch verlauft, dann nehmt einfach diesen Weg! „

Amen.

「愛―この上ない道」 J & O 結婚式説教

先日、友人の結婚式で司式・説教をさせていただく機会がありました。新郎はドイツ人、新婦は中国人、式はイタリアのコモで・・大変国際的な「礼拝」でした。日本語とドイツ語でわたしが用意した説教を、さらに前もって中国語と英語に訳していただき、式文と共に素敵なブックレットの形でお配りできました。1年越しの準備、新郎・新婦といっしょに祈りながらのものでしたので、当日の感慨はひとしおでした。おめでとうJ&O!神さまの愛の内にあって、共に生きる生活が祝福されますように。


新約聖書コリントの信徒への手紙一
12章31b-13章13節

親愛なるJ、O

結婚の契約―二人はあたらしい「絹の道」へ

 今日、お二人は、結婚の契約に結ばれました。神さまが、あなたがたの約束を聞かれたと、わたしたちは信じます。東から西から集まったご家族、ご友人、知人のみなさまも、結婚の証人として、二人の約束と誓いの言葉を聞き届け、(それぞれの母語で)心に祝福の言葉が溢れているところだと思います:恭喜恭喜(gonxi gonxi; 中国語) !/Congraturations(英語)/おめでとう!/Wir glaturieren euch(ドイツ語)!

このひとつの到達点は、同時に、あたらしい道のはじまりです。互いに手を取り合い、二人で―神によってまるで一人の人のように結ばれて―共に生きるひとつの道。おふたりには、もう、あるイメージが―具体的なヴィジョンとして―頭に描かれているでしょうか?この道について、初めから、具体的なヴィジョンを持っておくことは大事なことのように思います。人生の道先案内人として!
ここで、お生まれ育った環境の違う二人の道、これを、絹の道/シルクロードにたとえてみましょうか。想像してみてください!それは、古(いにしえ)より東西を結んできた出会いの道。その途上では、さまざまな文化が交わり、多様な人々が生き生きと行き交います。きっとその道は、いつも平坦というわけにはいかないでしょう。喜び楽しみ同様、緊張も不安も乾きも、いさかいすらあるかもしれません。

シルクロードは長いのです!この道を歩き通すには、国・文化・言語などの「境界(さかい)」や「限界(かぎり)」を超える勇気が必要です。互いに助け合うことが必要で、助けてくれる周りの人たちがぜひとも必要です(そう、お集まりの皆さん、二人には皆さんがぜひ必要です!)。「愛」を何よりもの「道」として そう、今、二人には、この結婚生活の「はじめ」に、「最後まで残るもの」をヴィジョンとして持っておくことが必要なのです。たとえば、先を行く新鮮な力を与えてくれる信頼と希望のようなものが。そして、そのようなものとして今日お二人と確信したいもの、それが、今日の聖書の箇所にあるとおり、

       愛―
         すべてを忍び、
           すべてを信じ、
           すべてを望み、
         すべてに耐える
       愛― 

です(新約聖書コリントの信徒への手紙一13章6節)!

「愛」、これを、パウロという先生は、「最高の道」(12章31節b)といいました。愛という道。わた
したちにとって、二つ目の「道」のイメージです!この場合の「道」は、「生き方」という意味を持っています。また、「最高の」という言葉は、限度の上をいく、という意味です。つまり、「愛」こそ、「この上ない生き方」、「限界を超えた人生」だとパウロはいうのです。

生き方としての愛。どうも、これは、巷に溢れるロマンティックでセンチメンタルな情感とは違いそうです。愛はそんなに「甘い」ものではない・・・。スイス・エメンタール地方の作家エレミアス・ゴットヘルフ牧師は、むしろ、「深ければ深いほどに、より痛ましいのが愛だ」といいました。とても強く、痛ましいほどで、だからこそ、人を広い視野・深い精神性へと導くもの、それが愛なのです。

愛は忍び、耐える

 愛の特徴は、パウロによれば、まず第一に、あらゆることを忍び耐える強さにあります。曰く:
         
         愛は忍耐強い。
             情け深い。ねたまない。
             自慢せず、高ぶらない。
             礼を失せず、自分の利益を求めず、
             いらだたず、うらみを抱かない。
             不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
         すべてを忍び、
             すべてを信じ、
             すべてを望み、
         すべてに耐える。

ここでは、「忍耐」「忍ぶ」「耐える」という言葉が、多くの否定形であらわされる慎ましい美徳を囲む枠となっています。いや、それよりも、忍耐を意味する二つの動詞が、とってもポジティヴな動詞をその内に囲み入れていることに注目してください:「信じる」「望む」という動詞です!パウロは言います、愛はすべてを信じつつ忍び、すべてを望みつつ耐えるのだと。愛の忍耐というものは、ですから、どこまでも、徹頭徹尾ポジティヴなもの。それは、愛が信頼・信仰が実りをもたらすこと、希望が実際にかなうということを、前もってヴィジョンとして見据えているからです。

 パウロは、自身、あらゆる苦難の杯を飲み干した人です。彼は、その不安に駆られた心に「まったく安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。」と書いています。「外には戦い、内には恐れがあった」と言うのです(コリントの信徒への手紙二7章5節)。しかし、彼は、その苦難の只中で、「忍耐が耐久力(練達)を生み、持久力が希望を生む」(新約聖書ローマの信徒への手紙5章4節)と確信して書いてもいるのです。パウロという人は、このように、忍耐の終わりを信じて、望みみて、具体的に乗り越える力をえたのでした。

歴史と人生の夜に―もっとも暗い中で輝く愛の待望

 同じように、忍耐を伴う愛の例として、戦中戦後の二つの詩とその詩人をぜひ紹介させてください。ブレスラウ(ヴロツワフ)のディートリヒ・ボンヘッファー〔Bonhoeffer, Dietrich 1906-1945〕と、台南(台湾)の高俊明〔1929-〕という人の詩です。

 ナチスの時代終焉の年に、獄中で殉死したドイツ人神学者ディートリヒ・ボンヘッファーは、パウロの言葉を自分なりに言い換えて言いました。「愛は待つ、ずっと待つ、最後まで待つ。愛に忍び難いことなど決してない。愛は我を忘れず、そして強制しない」。

そのボンヘッファーが1944年〔処刑の前年〕年末に獄中で書いた詩があります。世界史と人生の夜に書かれた詩です。それなのに、この詩には、忍耐のうちに彼が見た信頼が言い表され、希望の光が溢れます。
   
   ああすばらしき よき力にまもられて   
     われら安らかに待ちのぞむ 来るべき日を
    神いまし われらのかたわら 夜に朝に 
     然り確かに すべての朝日(あした)に
  
 ああすばらしき、獄中での信頼と希望のイメージ!これは、彼にとっては、愛から来るヴィジョンでした。

次にご紹介する戦後のアジアの詩も、同じヴィジョンを持っています。高俊明という人の詩です。台湾の高牧師は、戦後の民主化運動の過程で投獄された人です。その獄中の詩をわたしが知ったのは、この方が釈放後来日なさったときでした。まだ12歳だったわたしは、本人が流暢な日本語で朗読なさるこの詩をうかがったとき、日本の過ちを含むアジアの近代史の罪と悲惨のこともよくわからないまま感動して涙を流したことを覚えています。「サボテンと毛虫」という詩です。

   わたしは求めた
   美しい花束を
   しかし 神さまは とげだらけのサボテンをくださった。
   
   わたしは求めた
   愛らしい蝶を
   しかし 神さまは ゾッとするような毛虫をくださった
   わたしは
   なげき 悲しみ 失望した
   
   しかし 多くの日が過ぎ去ったあと
   わたしは目を見張った
   
   サボテンが多くの花を開いて 美しく咲き乱れ
   毛虫が愛らしい蜘蝶になって 春風に舞い舞うのを
 
   すばらしい神さまのご計画

ああ、ボンヘッファーも高も、弱さの中で待っていた人でした。夜がやがて白み、ついに解放の明日がくるまで。サボテンが花を開き、毛虫が蝶となるまで。彼らは、弱さの中で強い希望を持っているので、心は燃えていました。そうです、「弱さの中でこそ強い」ということこそ、愛の特性、しるしです。二人には愛がありました。だから、体は死の脅威にさらされても、魂は死の境遇に負けませんでした。旧約聖書の「愛の歌集」である『雅歌』にあるように「愛は死のように強い」のだということを、二人は教えてくれます(雅歌8章6-7節)。

二つの詩に共通するのは、忍耐を支える信頼と希望の視野、愛の持久力です。これが、最初から最後まで残る、わたしたちの道のイメージなのです。

 親愛なるJ、親愛なるO、結婚の喜びの席にはちょっと重いテーマとなりました。でも、O、あなたがかつて言ってくれたことを思い出します。聖書の愛とはロマンティックなそれとは違う、仕える愛だと。J、あなたが結婚の準備の中、また洗礼の準備の中で確認したことは、愛はやすっぽい恵みではなく、これまでと違う価値観や人生に踏み出させる力をもった価高いものだ、ということだったと思います。わたしたちは改めて、愛の深さ、強さを学んだのでした!

神と人との夫婦関係と愛

 さて、聖書(特に旧約)では、神と人(民)とが夫婦に譬えられます。神は、今日の二人のように、人間と「愛」の契りを結ぶパートナーだというのです。その契約の中では、互いに仕え合うということが約束されていました。

だからこそ、聖書の中では、愛がすべての生き方、道の教えの要約になるのです。ナザレのイエスが、二つの聖書の箇所を引用しながら、古いイスラエルの教えを「神の愛」と「隣人の愛」に要約なさったことは有名です。

イエスの十字架―神の犠牲愛

 さらに、イエスは言葉ばかりでなく、行いにおいても、生涯その教えを実践した方でした。新約聖書によれば、彼は、他者のために命をささげる十字架の死という究極の破局に至るまで、愛を貫き通されたのです。いわば、イエスは、ついに、愛の「犠牲」となりました。十字架が明らかにしたものは、奉仕と犠牲の備えのある、神の愛でした。その死が同時に明らかにしたものは、人間のために忍耐し、ついにはすべてを投げ出しても人を救おうとされた神の姿です。十字架刑の絵やイメージを頭に思い描いてみてください。「深いほどに、より痛ましいのが愛だ」、というゴットヘルフの言葉にもっとも当てはまるのは、あの十字架上の神の御子の姿です。わたしたちの愛の道のイメージは、ついにここに極まります。今やわたしたちは、神ご自身の愛に満ちた姿に出会い、「神こそが愛」だと知ったのです(新約聖書ヨハネの手紙一4章8節)!

これこそ、イエスがその生と死によって示されたことでした。キリストの十字架は、神の愛の証です。イエスは、死してもなお、それを超えて愛が生きることを明らかにしました。この死を超えた永遠の愛の確信が、愛は人を死から蘇らせるという特別な信仰に繋がっていったことは、不思議なことではありません。その根幹は、愛は死んでも生きる、という信頼だからです。それは、愛は死よりも強いという信仰、神はそれゆえ人にイエス・キリストをとおして、永遠の命を与えたもうという希望です。

愛し合いましょう―愛に出会いを与えられた夫婦へ!

 親愛なるO、親愛なるJ、すでに愛に満たされているお二人ですが、ここで改めて申し上げます。どうぞ、大いに愛し合ってください!これこそ、あらゆる教えの中で最高のものです。古くもいつも新しい教えです。愛し合いなさい!わたしたちは、争い、憎しみや死など、最も深い闇を掘り下げました。すると、愛に結ばれるのがいかに「すばらしき」ことか、一層よくわかりました。愛のあるところに、神さまがおられること、「神こそ愛である」こと(新約聖書ヨハネの第一の手紙4章8節)がわかったのです。今やわたしは、確信をもってこう申し上げます。お二人のこの愛は、神さまの愛のしるしです!あなたがたの信頼の過去、愛の現在、希望の将来―すべては神のヴィジョンの内にあります。神はこの愛の関係を初めから終わりまで御覧になっており、お二人もこの関係の中で神を見る幸いを得るのです。

「関係」?いや、そんな言葉では弱い。むしろ、それは、「契約」、「愛の契り」です。それは、互いの心身魂をまるで一つの体、一つの人格、ひとつの霊であるかのようにひとつに結ぶ神秘の出来事です!それだから、神が結びつけたものを、人は離すことはできないのです!

互いに愛し合いましょう。香港でもどこに行っても!人生のシルクロードはいつも平坦とはいきません。ですが、恐れることはありません。聖書には「愛の内には恐れがなく、完全な愛は恐れを締め出す」ともあります(カール・バルトが、獄中にいる人に向けたバーゼルなまりの説教CDをご一緒に聞いたことを思い出しますね!)。二人には、富めるにも病めるにも、二人を結ぶ開放的で肯定的な愛のヴィジョンがあります。

たとえば道に迷ったときは、いつもこのヴィジョンを心に頭に描くようにしてください。そうすれば、このヴィジョンという名の優しい道案内人は、適時二人にあなたがたのお父さんかお母さんのような声で語りかけ、歩むべき方向を指差してくれるはずです;

「よく聞きなさい、O、J。信仰と希望と愛、この三つの道を歩んでいれば大丈夫ですよ。これらこそ、いつまでもあなたがたの道なのです。そして、覚えておきなさいね、中でも最高の道は、愛なのですよ、迷ったら、この道を行きなさい」!! 
   
アーメン。

2013年7月15日

たくさんの人生の変わり目

昨日チューリヒ湖畔に引越しました。新居の最初のゲストは、引越しを手伝ってくださったユダヤ人の友人とイスラエルから娘に会いに飛んで来られたそのご両親でした。今日中国人の友人が教会で洗礼を受けました。また別の家庭からスイス人の三つ子(!)のかわいい赤ちゃんの洗礼式もありました。礼拝後、ドイツで牧師となる友人、イングランドの大学で教える職を得た友人のお別れ会がありました。明後日文学部時代の恩師が退職後の慰安旅行でチューリヒにもこられます。さまざまな世代の人生の変わり目が僕の前で国際的に層をなし、この小さな頭にいろいろな思いがめぐっています。

2013年6月22日

J・S・バッハ「心も口も業も命も」(BWV 147)訳と大意

今度歌うので、翻訳してみました。
その際にインターネット上で調べたことを
まとめ、印象を「ノート」として書きとめています。


「心も口も業も命も」
BWV 147 Herz und Mund und Tat und Leben


原詞:S.フランク/ 6,10のみM・ヤーン
邦訳:schu-hey


第1部

1. 合唱
心も口も業(わざ)も命(いのち)も
キリストにつき証なすべし
恐怖(おそれ)、偽善(いつわり)なく
そは神、救い主なれと。

2. レチタティーヴォ (テノール)
祝福されし御母(みはは)の口よ!
マリアはおのが魂の底に
感謝と讃えをもて告げ知らせ、
おのが内に語らい始める
救い主の奇(くす)しき御業(みわざ)を、
その卑女(はしため)たる処女(おとめ)に
 主が何を果たしたもうたかを。
おお 人の類(たぐい)、サタンと罪のしもべよ、
慰めをもたらすキリストの顕現により
この重荷と従属から
君は 解き放たれたり!
されど なが口 なが頑(かたくな)の趣は
黙して否(いな)むや、かかる穏便を。
いざ知れ、君に 御書(みふみ)によらば
大いなる 審(さば)きぞ 臨まんことを。

3. アリア (アルト)
ああ魂(たま)よ、君恥じることなかれ、
なが救い主を告白することを。
主は なれを ご自分の者と 証したもう
御父(みちち)の 御前(みまえ)にて!
されど この地にありて 主を
否みて恥じることなき者は
主によりてぞ 否まれん
主 御栄(みさかえ)に 入りたもうとき。

4. レチタティーヴォ (バス)
頑なが権力者らを幻惑せしむることあらん、
いと高き方の腕(かいな)によりて、その座を追われるまで。
否、その御腕(みうで)、高みに上がり、
御前(みまえ)に地の 震(ふる)うとも
しかるに悲惨に悩む者らを
かくも主は救い出(い)だしたもう。
おお いとも幸なる キリスト者らよ、
起きよ、備えよ
今こそ恵みのとき、
今日こそ救いの日、と救い主が言われる
なが身と霊(たま)は
信仰の賜物に飾られたり。
起きよ、主に呼ばわれ、熱烈な求めをもって。
そは主を信仰において、受け入れんがため。

5. アリア (ソプラノ)
備えたまえ イエスよ、今なお軌道を。
わが救い主よ、選び出したまえ
信じまつる魂を。
恵み深き目もて、我を見つめたまえ!

6. コラール
幸いなるかな、われにイエスあり
おお かくも確かにわれは主をとどめ、
主はわが心を力づける。
我病み、悲しめるとき
イエスぞ、われにあり―我を愛し、
われにご自身を与えたもう方。
ああ、ゆえにわれイエスを放すまじ
たとえわが心崩れ折れんと

第2部

7. アリア (テノール)
助けたまえ、イエスよ、われも君を証さんがため。
幸なるときも 悩めるときも、喜びのときも 悲しみのときも
助けたまえ、なれを わが救い主と呼ばわらんがため。
信仰にありて、平安にありて
わが心たえず、なが愛に燃えんがため。

8. レチタティーヴォ(アルト)
いと高き全能者の驚くべき御手(みて)は
世の隠されたところにありて御業(みわざ)なす.
ヨハネぞ御霊(みたま)に満たされて
彼を愛の契(ちぎ)りが寄せる
既に母の胎にありしより
彼は救い主を知り
その口で主を
呼ばわらぬままに
彼は動き、飛びはね、踊りたり
そのうちにエリザベトは奇跡を告げ
そのうちにマリアの口は唇の献げものをささげまつりぬ
なんじ、おお信仰者らよ、肉の弱さを認めるときに
なんじらの心 愛に 燃えながら
その口 救い主を 証せざるときに
御神(みかみ)はなんじを溢れる力で強めたもう
御神はみ霊の力を呼び起こし、
然り、感謝と讃美を なが舌に置きたもう。

9. アリア (バス)
われイエスの奇(くす)しき御業(みわざ)を 歌い
主に唇の献げものをささげん。
主は主の愛の契約に基づき 
弱きこの肉と 世にある口を
聖(きよ)き 火もて 強めたまわん。

10. コラール
イエスぞ保ちたもう わが喜びを
わが心の慰め、潤いを。
イエスぞ退けたもう あらゆる悩みを。
主はわが生命(いのち)の力
わが目の望みにして太陽
わが魂の宝にして歓喜
ゆえにわれイエスから
この心と顔を放さじ。

Copyright © 2013 Shuhei Oishi All Rights Reserved.

ノート:

歴史

 1723年夏にライプツィヒで初演されたこのBWV147には、BWV147a というカンタータを巡る前
史がある。それは、領主との不和で終結したことで有名なヴァイマール時代の終わり、1716年のこ
とだった。待降節(アドヴェント)第四主日用にカンタータを準備していたバッハは、突然その仕事
を放棄してしまう。当時の宮廷楽長ドレーゼが同年12月に死去したことで、後継者問題が生じた
ためだ。楽師長として宮廷副楽長に勝る仕事をしていたバッハは、実力に関わらず楽師に任命さ
れえないことを知ったとき、傷心のうちにヴァイマールを去ることを決断したのであった。その後安
息のケーテン時代にもこの曲に手を着ける機会は訪れず、この曲がついに日の目を見るのは、
バッハがライプツィヒのカントールとして就任した翌年であった。ただ、BWV147は、先立つ作品に
かなり大きな改訂を加えたものになったようで、しかも初演は待降節にではなく、夏、7月2日の
「マリアのエリザベト訪問」の祝日に行われた。

主題

 待降節用の詩とカンタータを、なぜ、夏の祝日に用いることができたのか。それは、伝統的な教
会における、このカンタータの土台となる主題聖句=新約聖書ルカによる福音書1章39節から59
節の取り扱いの多様性に由来する。ここに伝えられているのは、「訪問」と呼ばれる場面である。す
なわち、後に救い主と呼ばれる赤子を処女にしてみごもった妊婦マリアが、後に洗礼者ヨハネと呼
ばれる赤子を高齢にしてみごもった妊婦エリザベトを訪ねるいきさつが記されている。処女妊娠、
高齢妊娠は、命の出産に関わる神の力の強調としては、極まったものである(特に後者は、旧約
聖書時代より、神の命をもたらす力を強調する伝承パターン。族長アブラハムの妻でイサクの母サ
ラの高齢出産、預言者サムエルの母ハンナの出産などに既に例がみられる)。後に洗礼者として
イエスに再会し、人々に救い主の到来を告げるヨハネは、母エリザベトの胎にいるうちから既にお
腹の中でよろこび踊ったと聖書は伝える。そこで、エリザベトは、この赤子の「動き、飛びはね、踊
る」様子から、マリアの生もうとしている子が神に祝福された存在であることを知り、神と赤子を「讃
美」する。それに応じて、若きマリアも賛歌を歌う。有名な「マ(グ)ニフィカート」である。
 この箇所が、待降節に朗読され歌われるにふさわしい理由は明らかである。というのも、新約聖
書ルカによる福音書の文脈自体が、これを、クリスマスの出来事、すなわち、2章の「イエスの誕
生」の記事に直接先立つ場面として、この記事を位置づけているからである。エリザベトのマリアへ
の祝福の言葉は、生まれる前からマリアに生まれる子を讃美する内容であり、そこにはいわば、クリスマスの前味を味わう世界で最初の女性の声がある。マリアの賛歌は、さらに旧約聖書まで視野
において、イスラエルに救いを約束し、人々の救いを準備してこられた神が、ついにその成就を果
たそうとなさっていることを讃える。したがって、マリアの口は、旧約聖書の引用で満たされている。
その約束の成就としての救いの喜びこそ、クリスマスで世々の教会が覚えてきた中心主題だった
のである。
 一方、西方教会の暦の上で、この箇所が7月にこそ朗読されるにふさわしいとされたのは、出産
にいたる妊娠期間が考慮されたからであろう。聖書では直接誕生の記事が続くとしても、妊娠後す
ぐにマリアが出産したわけではなく、そこには通常の妊娠期間が考慮されるべきだと考えられたの
である。したがって、12月25日をイエスの誕生日、クリスマスだとするならば、この視点からは、
数ヶ月前に「訪問」の祝日を置くのがふさわしい(とはいえ、バッハの時代には7月2日とされたこの
祝日は、今の教会では5月31日とされているようであるが)。
 ここに、ルカによる福音書1章39節以下を引用しておく。

  そのころ、マリアは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町へ行き、ザカリアの家に入ってエリサベツに挨拶した。エリサベツがマリアの挨拶を聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上が私のところに来てくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。するとマリアは言った、「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち世々の人々は、私をさいわいな女というでしょう、力ある方がわたしに大きなことをしてくださったからです。そのみ名はきよく、そのあわれみは、世々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶるものを追い散らし、権力ある者を王座より引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。主は、あわれみをお忘れにならず、その僕(しもべ)イスラエルを助けてくださいました。私たちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。マリアは、エリサベツのところに三ヶ月ほど滞在してから、家に帰った。

BWV 147の詩の大意、個人的な印象

 *一部、≪善悪≫の対比の色濃い、かつての教会の言葉遣いで満ちていて、少し現代人
には厳しく聞こえる詩かもしれない。現在の教会は、むしろ、このようなイメージの言語を避ける傾向もある。それは、ときに善悪の二元論に陥って、自分たちだけを聖とし教会の外を断罪してしまった教会の歴史的な過ちを繰り返さないようにという反省があるからであろうか。その点に注意しつつ、このテクストと旋律が第一のものとする「救い」の強調、深い「願い」と「喜び」の基本線を受け止めるようにしたい。

 1.
   聖書から直接引用された言葉ではなく、教会的な信仰告白と証のよびかけが冒頭におかれ
   る。第一行は、構成上、≪口(言葉)―業(行い)≫を、≪心―命(+魂)=全人格≫が囲んで
   枠付けている。キリストは神(の子)であり、救い主であるという信仰告白は、口はもちろん、信
   仰者の行いをもっても、心を尽くし、命を尽くす(旧約聖書申命記6章)全人格的な在り様で、
   人々に明らかにされなければならない。
 2.
   マニフィカートを歌い始めるマリアに働く神の力への讃美と、サタンの断罪の対比がある。「人
   の類」の罪がサタンの「奴隷」たるものとして暴かれる。人が、良くない主人に仕えるとき、そこ
   にあるのは重労働と足かせである。しかし、神がマリアから生まれさせる救い主によって、神
   は本来の自由な子の身分に人々を救い出そうとしている。いや、教会の視点でいえば、その
      救いはすでに成就したと告白されている。教会はその救いを聖書に学び、その言葉に信を置
   いているが、もし記されている救いに聞く耳を持たない頑なさになおとどまっているとすれば、
   それは不幸であり、罪の奴隷としての「裁き」の現実が解決することはない。古い教会の厳し
   い言葉遣いだが、いずれにせよこれは、だれかを断罪する言葉であるよりは、解放へと招く意
   図で語られている言葉であろう。奴隷の状態からの解放、頑なさからの自由という主題は、旧
   約聖書出エジプト記のモーセの物語以来の古い主題である。
 3.
   1で語られた証の必要性が、より個人的な魂への呼びかけの言葉として表現されている。加
   えて、ここにはやはり現在の教会では強調されなくなってきた「罪の裁きの場面」のイメージが
   現れる。主イエスは、神の前で信仰者を自分のものだと主張する。サタンの奴隷ではなく、神
   の子のものだという証言を、裁きの座で神の子自身が引き受けてくださるという教会の信仰が
   ここにある。このイエスといういわば良き「弁護士」に弁護されたものには、「栄光」が待ってい
   る。その弁護を拒否することは、2.の奴隷状態に留まることを、自ら神の前に証言しているよ
   うなものである。
 4.5.
   前半は、ルカによる福音書のマニフィカートの言葉である。マリアは、弱きものが強められ、低
   きものが高められることに驚き、そこに神の力を認める。その際、もちいられている言葉遣い
   は、旧約聖書の時代以来、たとえば「ハンナの祈り」(サムエル記上2章)のような例がある、
   古い神讃美の伝承パターンに基づいたものである。マニフィカート以外にも、イザヤ書11章
   や、「今こそ救いの日、喜びの日」の詩篇など旧約聖書の引用がここにはある。バッハの時代
   はもちろんのこと、教会は、弱者に視点を向け、高ぶりをくじく神に希望を表明した古来の祈り
   をイエスによる救いとの関係で祈っている。イエスは救いにいたる道である、そのことを受け入
   れるための熱烈な信仰が強調される。
 6.
   救いと裁きの間に立って、緊張をもっていた詩人が、ここでは、キリストを「もって」いることに
   憩いを見出している。ここでは、自分の弱さが問題なのではなく、弱さの中でイエスが共にいて
   くださることの力強さへの信頼が讃美の歌となっている。また、イエスが「われ」に与えたもうも
   のは、「愛」である。すなわち、みずからの命をささげても救おうとする自己犠牲の完全な愛で
   ある。
 7.
   愛するための助けを繰り返し求める声から第二部ははじまる。結婚式の誓約で語られる富め
   るときも、やめるときも、という表現を思い起こさせる詩文から、イエスを生涯愛する対象とし
   たいという詩人の求めが表現されている。この人がつねに求めているのは、冷めた感情では
   なく熱烈に燃える愛である。
 8.
   ルカによる福音書1章39節以下の「訪問」の場面が描写される。後に洗礼者となる赤子が、
   母の胎にあるうちよりマリアの子を救い主と知り、喜び踊る。そこからエリザベトの祝福と讃美
   の言葉、マリアの賛歌が生まれるのである。そのような愛の結びつきが契りという言葉で表現
   され、これを歌い聞くものたちに、同じ結びつきのうちにあって歌うことを促している。
 
 9.
   そこで生じるのが信仰者自身の口による賛歌である。契約という言葉は8の契りという言葉を
   受けているが、マニフィカート内にも用いられている旧約聖書来の神と人との約束の関係のこ
   とである。聖なる火のイメージは、これもやはり、預言者イザヤの書の6章などの例に見られ
   るように、古来罪の赦しとの関連で用いられてきた象徴言語である。
 10.
   第一部の終わり同様、第二部も、個人的なキリストとの結びつきの中で憩い歌う信仰者の信
   頼に満ちすべてを明け渡した言葉で閉じられる。こうして心と顔を救いへと人格的に向けたま
   ま、信仰者の人生は歩みとおされてゆく。
   
最後に 「主よ人の望みの喜びよ」について
 6.と10.に用いられているバッハの美しいメロディで親しまれるこの曲、歌詞はマルティン・ヤー
ン作、<Jesu Meiner Seelen Wonne イエス、わが魂の喜び>の第6、16節。しかし、この有名な
邦題は、ピアニスト、マイラ・ヘス の訳になる英語題≪Jesu, joy of man's desiring≫ の直訳であり、ヤーンの題名とは異なる理由はそこにある。

2013年5月21日

聖書を古代の伝承文学として読む。大変な緊張を引き受けながら。。


2009年以来、チューリヒで聖書を勉強してきました。自分の論文を書くために、想像以上に多くの壁をクリアしなければならないことには、最初から驚きの連続でした。

一番の壁は、歴史的に聖書を読もうとするときに起こる価値の相対化という問題です。

旧新約聖書はわたしにとって、なお歴史に生きる神の言葉だと十分に信じ告白することのできる書でありますが、同時に、それは、長い時間をかけ、人間の口をとおし人格をとおして、したがって、それぞれの神学や信仰上の限界、当時の社会の現実的理解をも引き受けて伝えられた徹頭徹尾人間的な、多種多様な諸文献の集合体だと思います。

聖書内には、古代の他の文献と変わらないさまざまな政治上のプロパガンダや、時代によって移りゆく神学的イデオロギーや、価値観の操作や、論争や、そして、矛盾と緊張や、さらには誤りさえもがあります。

聖書内に描き出された神観さえ、例外ではありません。聖書の神は、誤解を恐れずに言えば、多種多様で、その多様性は古代の「神々」の多様さに比べられます。

たとえば太陽神の影響さえ受けているかのような輝く「YHWH(わたしは、なおユダヤ・キリスト教の
伝統に従って「主」と読むようにしています)」も存在するかと思えば、そういった「異教的」要素を徹底的に排除しようとする「宗教改革者的」な人々の信じた同名の神もいるのです・・。

他の文献と変わらない?他の「神々」との影響関係?
そんな見方に出会って、わたしが日本の改革教会で培った信仰は正直なところ、最初大いに動揺してしまったのです。

戦後になってようやくカルヴァン的「教会と国家」の神学や弁証法神学に「救われた」先輩の神学者、牧師たちは、イエス・キリストを主とし、他の主人や国家に仕えることを許さない絶対的な神をあがめることの益を、わたしたちの世代にも伝えてくれました。

その視点では、相対化はもっとも危険な誘惑です。
「信仰告白の事態」にあったのに、かつてその相対化に陥ってしまったことこそが、教会の誤りでした。今の政治動向を見ても状況は変わらないようにさえ思えます。今こそ襟をただして、悪に仕える誤りは繰り返すわけにはいかない、という覚悟がなお強く求められると思います。

戦後の神学的真理追求の中で生じたキリスト者による罪責告白の誠実さは、日本の歴史の中では少数派の力弱い運動であったと思われるかもしれませんが、わたしは、当時としても、今後の歴史あっても、とても大きな意味を持つものだと思います。そして実際、そういった誠実な先輩たちがよりどころとした源泉の聖書にも、そのような神学を裏付ける多くの箇所が見出せると、わたしは今も読み取ることができます。

しかし、聖書の成立ということに一度関心をもつと、そこからあらゆる価値観の絶対化を否定する実体があることに気づかされます。これが、わたしがチューリヒで改めて緊張をもって見つめている問題です。聖書は、その口伝の時代には一個の聖典などではありませんでした。ひとたび書き記されてからも、ひとつの解釈に全体が落ち着いたことなどなく、つまり、ひとつの状況において真理であったとしても、それさえ永遠には「絶対化」することを許されないものであることを裏付けるたくさんの聖書の箇所が、また相並んで緊張含みで、現に聖書内にあるのです。

そういった多様性に心を開いたとたん(実際にわたしは今心を開こうとしているのですが)、価値の相対化の波が、わたしのこれまでの幼い教会的信仰の壁を乗り越えようと押し寄せては、わたしを悩ませるのです。絶対を「状況倫理的に」用いるだけでは、それは絶対とは呼べません。わたしは、こうして、今、絶対と相対の交わるグレーゾーンに立っています。

まだ悩みの中で書いており、ごちゃごちゃしてきましたので、一端暫時的にまとめて終わりにしようと思います。

聖書内の文献と文献との緊張や差異は、古代の他の文学・文献とほとんど等価のものとして比較してみて(つまり相対化して)はじめて理解できるものです。宗教史的、考古学的、歴史社会学的な学問の助けを経ずに、当時の文脈や状況、価値観を理解することはできないと思います。また、
聖書の場合、気が遠くなるほどに長い時間をかけて、伝承がまとめられたり、取捨選択されたり、記憶の中でまざったりして、その結果、後に聖書正典となる書や文献が書かれ、書かれた後も
改版、訂正されたり、付加されたり、翻訳されたりする文学上の作業もありました。翻訳や釈義によって、今もその文学的神学的意味づけの作業は、つねに新しくなされ続けてすらいます。そのような聖書文献の人間による解釈の歴史の中では、絶対化された神観や宗教観、倫理観はつねに問いを受け続けます。かつて真理であった信仰が、今日真理であるかどうか、問われます。絶対と相対はわたしには簡単に白黒つけられず、絶対化と相対化の間の灰色の世界に立って、その死の陰の谷を歩みつづけるしか、わたしには今のところなすすべがありません。そのような視線で聖書をながめると、聖書こそそのグレーゾーンに存在感を持っているように見えてきます。白黒つけられない場所に聖書があるということ、それ自体が、わたしには、人格をもった神が生きておられることのしるしであるとすら、思われてまいります。

以下、わたしが最近訳をしています指導教授の「旧約聖書文学史」に関する論文からの抜粋です・・


 旧約聖書は、長い期間をこえて成立した文学〔文献Literatur〕から成り、そのために、その諸本文、諸文書への文学史的アプローチがおのずから浮かび上がってくる。旧約聖書は、〔いわば〕複数の書を包括する紀元前1世紀の図書館である。ただこの図書館にあっては、単にこれらの書物がそれぞれ、総体として様々な時代になった、というだけでなく、通例、各書それぞれ自体が、いくつもの長い期間をこえて構成されてきたのである。したがって、旧約聖書は―史的に見て―、すくなくとも二重のあり方で、歴史的な区別をもって認識されるべきである。すなわち、その複数の書は、〔書の総体として〕様々な諸画期〔エポック〕に属するが、同じことが、これらの書物内の諸本文にも言えるのである。さらにまた、旧約聖書の本文所産のある部分は本来的には口頭伝承に帰する、ということを考慮に入れなければならない。旧約聖書とは―古代オリエントの諸文献と基本的には比較が可能な―、「伝承文学〔Traditionsliteratur」なのである。つまり、それは、ある特定の時期〔エポック〕のある特定の著作家には帰すことのできない本文および文書から構成されている。諸本文の背後にある中心的存在は著者ではなく、伝承者〔Tradent―文献を書くという意味では創作的だが、たいていの場合匿名かあるいは偽名で伝承過程に身を置いた者―である。一冊の書の背後で著作に関わった人物としての個人の「我」は、概念としては、コヘレト(前200年)のもとでようやく具体的な形をとり始める。聖書的な一書の著者として実名が知られる最初の人は、イエス・シラクである。彼は前180年に書き、その書は新たな七十人訳正典を構成する一冊となっている。・・・Konrad Schmid, Literaturgeschichte des Alten Testaments. Aufgaben, Stand, Problemfelder und Perspektiven, ThLZ 136 (2011), 243.