2015年11月18日

「スイスの日(SWISS-DAY) 」 ~ 2016年度オープンチャーチ






2016年7月末に

スイス・チューリヒから9名の青年たちをお迎えして

第二回オープンチャーチを開催すべく準備を始めています。


オープンチャーチとは、

2015年5月の新教会堂建築を記念してはじまった、

地域のみなさま向けの、

宗教色のすくない、

でも教会ならではの

開かれたプログラムです。


次回は、「スイスの日」として、

わたしたちとは異なる文化にふれ、

親しく交流することで

いろいろな違いの中でわたしたちが心通わせ生きるということについて

ごいっしょに体験したいと思います。


中心は、子どものためのプログラムとなる予定です。

思想信条にかかわらず

どなたにでも楽しく参加いただける会にしたいと思っていますので

どうぞお楽しみに

来年の詳細のお知らせをお待ちください。


お問い合わせは、教会(042-370-1537)

担当大石まで。

2015年7月8日

オープンチャーチ(府中中河原)


日本キリスト教会 府中中河原伝道所では

この5月に完成したばかりの新しい教会堂を

地域の方々をはじめ

関心をもってくださるみなさまに

広く見ていただきたいと考え

オープン・チャーチ
のイベントを計画しました!


2015年7月12日(日)

朝の礼拝(午前10時から)を、①「こどもとおとな、初めての人も一緒の礼拝」とし

さらに、独立したプログラムとして、午後3時から

➁ 建築士と牧師をゲストに迎えたトークイベントを催します。

どちらか一方の参加でも構いません。

(キリスト教の中心である礼拝を、落ち着いた空間で初体験したい方は①、

あまり宗教色のないイベントで、でも教会についてちょっと知りたいという方は➁が

おススメです。)

➁の機会には、子どものための紙芝居や、

近隣で購入させていただいたパンやおやつを囲んでの団らんのひと時もございます。


入場無料

〔ネパール被災者支援募金の呼びかけのみいたします〕

予約不要。


お誘いあわせのうえ、ぜひお運びください。

(教会紹介の機会ではありますが、宗教への勧誘行為はいたしません)

みなさまとお会いできることを、楽しみにしています!




牧師 大石周平 

2015年6月8日

府中中河原伝道所が 新会堂に引越しました!




日本キリスト教会 府中中河原伝道所

(東京府中市住吉町の教会)は

同じ町内に新会堂を建て、引越しました。


5月24日(日)より新会堂での礼拝が始まり

「地域に開かれた教会」をめざして新しく歩み出しています。

(とくに礼拝の式文に、新しく「こどもの説教」 が加わりました)


教会のホームページは目下準備中ですが

以下に、日曜日(主の日)ごとの礼拝のご案内や、アクセス情報がありますので

ぜひご覧になってください。



photo by T. Gotoh 2015


〇 献堂式は 6月21日(日) 午後2時45分から行います。


また、キリスト教会に関心を持っておられる方、

礼拝に出席してみたい、新会堂を見てみたいという方は

以下の機会にお運びください。


〇 礼拝が初めての方をも対象とした特別礼拝(中会応援伝道礼拝)を
   
   7月12日(日)午前10時30分から行います(約1時間)。

   説教者として、冨永憲司牧師(柏木教会)をお迎えします。
   

〇 地域の方を中心に、一般の方々に向けた新会堂お披露目の会、

   「オープンチャーチ」を、7月12日(日) 午後3時から行います。

   当教会を含むたくさんの教会の設計者であられる

   寺田晶彦氏(ジョイ建築設計事務所)をお迎えし、

   「建築士と語り合う、世界の教会見聞録」(仮)をテーマに

たのしく対談をさせていただく予定です。

   こどもたちには、「朗読奉仕の会」による紙しばいもあります。


どうぞ初めての方もお運びください。

以上、お知らせのみにて。


日本キリスト教会府中中河原伝道所

牧師 大石周平

2015年2月26日

府中中河原伝道所 新会堂建築


日本キリスト教会 府中中河原伝道所では

多くの方々・教会にお支えいただいて、新会堂を建築中です。

さまざまな準備を経、深い祈りのうちに

2014年11月9日に定礎・起工し、

2015年1月23日に上棟するに至りました。

5月24日の聖霊降臨主日には

新会堂で初めての礼拝を行うことを目指し

目下、工事が順調に進められています。

お祈り、お支えくださっている方に

心から感謝いたします。

地域に開かれた教会をめざします。



2014. Spring
2014. Sommer
2014. Christmas
2015. 1. 21 上棟


2015. 1. 23






2015. 2. 26
2015. 2. 26

2014年12月23日

聖書と祈りのクリスマス

クリスマスにただ静かに祈りたい方へ

2014年12月25日
東京都府中市にある
日本キリスト教会府中中河原伝道所では
聖書を読み、祈るひとときを持ちます。
特別なことはなく、毎週行っている祈りの会ですが、
クリスマスの特別な感謝の思いをもって祈りたいと思います。

この時期、教会でもどこでもイベントが多いです。
一年の中でも特別な喜びのとき、讃美のときだからだと思います。
ただ同時に、クリスマスによく似合うと思うのは
賑やかな町の片隅で行われる静かな祈りです。


「ああ、今日は忙しい
だからいつも以上に祈る時間を取らなければならない」

といったある朝のルターの言葉が
なんだかこの時期には心に響くのです。

祈りたいけれどもどのように祈って良いかわからない
という方にも、深い祈りの機会になればと願っています。
他の人の祈りに心をよせて「アーメン(真実です)」と言うとき
自らの深い願いや叫びに言葉が与えられていく経験がわたしにもあります。

「どうぞまたいらしてくださいね」と声をかける教会員の方もあるかもしれませんが
決して強い勧誘行為はいたしません。
ただみなさんの祈りの必要のために、
クリスマスの日に、小さな「家の教会」の扉を開いていたいと考えています。

教会暦のクリスマス(降誕節)は伝統的には1月6日までです。
2015年1月1日(木)にも
待降節(クリスマス)の喜びの中で祈りの会をもち
新しい年の歩みを祈りをもってはじめたいと思います。


日本キリスト教会 府中中河原伝道所

住所 東京都府中市住吉町4-19-13
電話 042-354-3044

牧師 大石周平

アクセス 京王線中河原駅より徒歩3~5分
(新宿より特急・準特急で府中へ、
府中でホーム向かいの各駅停車に乗り換え
二つ目の駅が中河原駅です)

(日本キリスト教会は、日本で最初のプロテスタント、
日本基督公会の伝統にたつ教会です。)

 

2014年9月19日

秋の礼拝・集会案内(日本キリスト教会 府中中河原伝道所) 

わたしが牧師として働いています教会の
2014年秋の集会をふたつご案内します。
いずれも場所は、

日本キリスト教会 府中中河原伝道所

東京都府中市住吉町4丁目19-13
(電話 042- 354- 3044)

で行われるものです。

日本キリスト教会は
日本最初のプロテスタント教会である
日本基督教会(公会)の流れを受け継ぐ改革・長老派の教会です。

強制的な勧誘など一切ございませんので、
ご自由にお運びください。

1.
   9月28日(日) 10:30から 特別伝道礼拝 
    
      主 題 「こころ揺さぶる出会い」 説教・講演 大石周平 府中中河原伝道所牧師
      
      説 教 「こころ揺さぶる主との出会い」 
      
      講 演 「こころ揺さぶる書との出会い」 (礼拝後すぐに行います)

      
    ふだん教会にきておられない方を対象に、わかりやすい礼拝説教、講演が語られます。
    子どもから大人まで、信仰がある人もそうでない人も、歓迎いたします。
    講演は、「聖書」について。スイスで聖書学を学び、帰国したばかりの新米牧師が
    ヘブライ語とギリシア語で書かれた古(いにしえ)の「出会いの書」を親しくご紹介します。


2.
   10月12日(日) 10:30から スイスより牧師を迎えての独・日語礼拝
 
      説教・講演 ニクラウス・ペータ―  チューリヒ・フラウミュンスター教会牧師
      通訳     大石周平         府中中河原伝道所牧師
      
      礼拝後   愛餐・講演 および 出版記念会 (講演主題未定)
      
     シャガールのステンドグラスで有名な大聖堂、チューリヒ・フラウミュンスター教会の主任
     牧師ニクラウス・ペーター博士が来日されます。礼拝後、ご一緒に軽食をとりながら交わ
     りのときをもち、13時ごろから講演をしていただきます。
     講演内容は追ってお知らせしますが、新教会堂建築の計画を進めています府中中河原
     伝道所の教会員のことを思い、「見える教会と信仰」に関するものになる予定です。また、
     10月中に出版される予定の以下の邦訳書をご紹介する機会ともなればと考えています。
     
      N・ペーター著(大石周平訳)『信仰のいろはをつづる―魂の解剖図と告白―』、
       フラウミュンスター教会説教集Ⅰ、一麦出版社、2014年(初版10月10日出版予定)
                           出版の詳細はこちら   一麦出版社ホームページ

   
         Herzliche EINLADUNG zu unserem 
        ----Gottesdienst mit Pfr. Dr. Niklaus Peter (aus Zurich Fraumuensterkirche) 
          in Fuchu-Nakagawara Mission der Church of Christ in Japan (CCJ. ref.), TOKIO.

            12. Oktober 2014  10:00Uhr 
            Die Predigt wird auf Deutsch gesprochen und ins japanische uebersetzt.
            Im Anschluss an den Gottesdienst gibt es einen Vortrag von Pfr. Peter 
            fuer die Kirchgeimende. 

        Ort:  
                   4-19-13 Shumiyoshi-cho, Fuchu
                   183-0035, Tokio
                    JAPAN 
                  
                   Tel/Fax: +81(0)42-354-3044
                
            

2014年6月9日

1564-2014 人文主義にまつわる450周年

2014年、人文主義の花開いたルネッサンス期、宗教改革期にまつわる、「生誕/死去450周年」が目白押しの年です。


ミケランジェロ・ヴォナローティ
〔Michelangelo Buonarroti, 1475-1564〕

ウィブランディス・ローゼンブラット
〔Wibrandis Rosenblatt, 1504-1564〕

テオドール・ビブリアンダー
〔Theodor Bibliander, 1505-1564〕

シャルル・エチエンヌ
〔Charles Estienne, 1504-1564〕

ジャン・カルヴァン
〔Jean Calvin, 1509-1564〕

アンドレアス・ヴェサリウス
〔Andreas Vesalius, 1514-1564〕

----

クリストファー・マーロー
〔Christopher Marlow, 1564-1593〕

ウィリアム・シェークスピア
〔William Shakespeare, 1564-1616〕

ウィリアム・アダムス(三浦按針)
〔William Adams, 1564-1620〕

カルロ・スピノラ
〔Carlo Spinole, 1564-1622〕

ガリレオ・ガリレイ
〔Galileo Galilei, 1564-1642〕


かつて、文学部のシェークスピア研究のゼミで「1564(ヒトゴロシ)の年と覚えなさい」と教わったことがあるこの年(ワスレガタイ!)に生まれ、死んだこの人たちのことを、今年中に、折をみて調べてみたいと考えています。それぞれについて、良い伝記をご存じの方があれば、ぜひ教えてください。。

2014年2月11日

選挙・投票結果と今後の歩み―2月9日つれづれ雑感

2月9日、東京の都知事選挙と、スイスの各州でそれぞれに行われた外国人に関するイニシアティヴ投票の結果はいずれも、わたしにとっては残念なものでした。いや、政治や経済など、細やかな議論はわからないことも多いので偉そうなことは申し上げられません。わたしが残念だという理由は、ただ大つかみの印象から来ています。つまり、どちらにあっても(投票した全員がそのような意図をもっているわけではないにもかかわらず)、自分の生きる領域以外や、他者の在りようをみつめる視野を広げる可能性を制限する、ある極端に排他的な保守性が力を強めているように思われたからなのです。

*

また、これとは全然別のことなのですが、同じ日に、ある日本の教会/伝道所の総会で、わたしを牧師として派遣することを地域の諸教会の会議(中会)に願い出る件が決議された、という報せが届きました。3月末に予定されている中会でこれが認められた場合、これを神さまの御心と受け止めようと、約一ヵ月後の帰国の準備に入っているところです。そういうわけで9日は、いくらか複雑な思いのまま、去る国帰る国を見つめていたのでした。今後の生活の場がいよいよ定まりそうなこの時、これまで以上に広くいろいろな視野を持つために、頭ごなしをやめて、さまざまな人とふれあって、自分よがりを克服するあり方を求めていきたい、などと考えました。

**

・・・と、そんなとき、おさない娘が、幼稚園の、国際色豊かな集合写真を見せてくれました。当然ながらというべきでしょうか、うらやましいことにというべきでしょうか、子供たちの多彩な笑顔には、人種や地域別の優劣はありませんでした。国旗を背負ってスポーツ競争することも知らず、紛争地域と平和な地域だとか、汚染地域と安全神話に生きる町だとか、どんな区別もごまかしも、まだよくわかっていない無邪気な笑顔です。この子たちが、いずれ排他的に保守的なイデオロギー教育を受け、隣にいた子を自分の益のために忌避する行動に出たりしないように、また、なによりこの笑顔を突然奪うような人災や紛争が二度と起こらないように・・・、そのための社会的な責任を、改めて覚えている今日この頃です。

2014年1月6日

チューリヒ州ホルゲン改革派教会(Die Reformierte Kirche Horgen)の教会建築と礼拝にとって持つ意味


 今日、妻と一緒に、わたしの住むチューリヒ州タルヴィルからほど近い、ホルゲンという町を散歩しました。70,5メートルあるというエメラルドグリーンの尖塔から響く11時の鐘の音に呼び寄せられるように訪れたホルゲン改革派教会は、既に1210年の文献に教区教会として言及されている、歴史ある教会だそうです。現在の教会の建物の建築は、1458年に由来するより古い教会堂を建てかえる形で、1780年に始まり、二年後に完成。1782年10月27日、ゲーテの友人としても有名な神学者J・C・ラヴァター牧師による、創世記28章16-17節および詩篇122編*に基づく説教のもと、建堂式が行われたと、ホルゲン改革派教会ホームページにありました。晴れた空を背景に、塔の先には、―風見の鳥でも十字架でもなく―太陽・月・星の装飾が輝いていました。それにしても、この塔の外観、チューリヒ市のフラウミュンスター(聖母聖堂)教会に良く似ています。どうもホルゲン教会の教会禄授与権は、宗教改革前まで、かの女子修道院の聖堂に置かれていたらしく、その類似は歴史的な記憶のせいなのか、とも思いました。あるいは、18世紀のドイツ語圏スイスの教会建築に携わった建築家たちの共通のスタイル(流行?)だった、のかもしれません。

*創世記28章16-17節… ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。そして恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

 詩編122編… 主の家に行こう、と人々が行ったとき/わたしはうれしかった。/エルサレムよ、あなたの城門の中に/わたしたちの足は立っている。/エルサレム、都として建てられた町。/そこに、すべては結び合い/そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。/主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。/そこにこそ、裁きの王座が/ダビデの家の王座が据えられている。/エルサレムの平和を求めよう。/「あなたを愛する人々に平安があるように。/あなたの城壁のうちに平和があるように。/あなたの城郭のうちに平安があるように。」/わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。/「あなたのうちに平和があるように。」/わたしは願おう/わたしたちの神、主の家のために。/「あなたに幸いがあるように。」

 以前訪れたときには、鍵の閉められる18時を過ぎていたので残念でしたが、今日は北の扉が開いていました。喜んで中に入ると、フラウミュンスター教会―説教壇や聖餐卓に比べ圧倒的にシャガールの窓が一際目立つ会堂―とは、印象が違いました。かつて有名な教会建築家だったグルーベンマン家に学んだというヤコブ・ハルティナーが建てたこの教会は、師による近郊のヴェーデンスヴィル改革派教会(1763年)の会堂スタイルを踏襲したようで、わたしには(ロココ調の白く美しい天井以外)、独特にすぐれて「改革派教会的」に見えました。

 まず目に飛び込んできたのは、会堂の中心―すなわち、会堂を上から平面に見た場合の基本構造である並んだ二つの円が交わる点―に、会衆席に取り囲まれるように置かれた洗礼盤でした。マタイによる福音書28章*の金文字で飾られた洗礼盤は、木板の蓋で覆われ、「開かれた聖書」の置き台ともなっています**。同時に、この洗礼盤は、礼拝時には、聖餐卓としても用いられるのでしょう。洗礼+聖餐のサクラメント(聖礼典)が、「教会の会衆の場」、「空間の真ん中にある」ことは、エムデンのA.ラウハウスという先生によれば、聖餐教会を説教教会と敢えて区別したオランダやドイツ・東フリースラントを除く、多くの改革教会の古い伝統です***。しかも、会衆同志の顔が見える長椅子の位置関係からは、礼拝者の交わりが神学上大事にされているらしいと、うかがえます。北の扉側から洗礼盤を結んだ線を延長すると、南(正確には南東)の二階部分に、4798本ものパイプをもつオルガンが天に向かい聳えています(1961年に新しくされたものだそうです)。スイス宗教改革第一世代の指導者ウルリヒ・ツヴィングリは、音楽の魅力が会衆を言葉への集中から逸らしてしまうとして、礼拝から楽器を取り去りました。しかし、その後の世代には、会衆同志が一緒に、「天の神殿」の天使と声を合わせて歌う神讃美の重要性が、ずっと詩篇歌を歌ってきた他州同様チューリヒ州にも取り戻され、生きています。

* マタイによる福音書28:19…「父、子、霊の御名によって洗礼を授けなさい」

** モラヴィア兄弟団による『ローズンゲン2014』の年間聖句でもある詩編73編が開かれていました。詩編73:28…わたしは、神に近くあることを幸いとし/主なる神に避けどころを置く。/わたしは御業をことごとく伝えよう。

*** 『カルヴァンと旧約聖書―カルヴァンはユダヤ人か』(カルヴァン、改革派神学研究所編、教文館、2013年)内の講演録(171-196頁)参照

 では、例えばツヴィングリが、聖障(聖堂内陣と身廊の間の区切り)の上に説教壇を置くなどして明示した「言葉(説教)」の位置づけは、この教会堂では、どのように見える形とされているでしょうか。≪北―南≫の通路と交差して十字をなす≪西―東≫の線に身を置くと、その強調点もまた、一定程度保たれていることがわかります。そこでは、天蓋付説教壇もやはり、会衆席に三方から囲まれるような位置の、東壁際にありました。つまり、たとえばジュネーヴの宗教改革者ジャン・カルヴァンが大事なこととして主張したように、中央に置かれた洗礼+聖餐の聖礼典に結びついて、御言の説教もある、ということです。集められた礼拝者の視点が、終始説教者だけに集中するような、いわば「講義型」の位置付けでもなければ、儀式的な所作をただ外から眺めているような、いわば「劇場型」の位置付けでもありません―確かに、段々になった大きな二階席からも含め1250席すべてから中央に視線が集められる劇場・音楽ホールのような機能もこの会堂にはあって、現在実際によく活用されてはいるようですが…それにしても―、会衆は、説教者と目を合わせながら集中して聖書朗読と御言の説きあかしを聴き、しかも互いに顔と顔を合わせてその交わりの中、見えるサクラメントに共に与り声を合わせて祈り歌うことができます。牧師も信徒も共にあって(万人祭司!)、教会共同体がキリストの体であることをよく受け止めることができる、良い会堂の形だと、わたしは感じました。





 ところで、理解に窮するところもなかったわけではありません。説教壇は見事な彫刻を施され、階段下には、なぜか舌を出しワッペンを携えた「チューリヒ獅子」の木像、さらにその左には、三人がけの―説教者と州ないし町の有力者たち用の?―立派な天蓋付の椅子がありました。長い退屈な説教に眠りこけているような姿の庶民的な犬の彫刻を、どこかの教会の説教壇下で見たことがありましたが、「州の教会を護る」とする勇ましい獅子の彫像には、どうも、「国(州)教会の権威」のようなもの―小さな日本の教会で育ったわたしの教会観とは相容れないもの―が目につきます…。そもそも、かつて迫害下にあって散らされた改革派亡命者たちが、「自分たちが教会を建てられるような時代になったら、こんな教会を・・・」と夢見たような「楽園の神殿」に似た会堂を、現実に建てることができた背景には、国教会としての教会の力(権力および経済力)の高まりがあると言わざるを得ません。目に見える会堂が整うときこそ、どのような内実で礼拝が行われているかという問い直しが、礼拝者一人ひとりの信仰の吟味とともに、いよいよ必要であることを感じます。
 
 さて、さらによく見ると、説教壇には16世紀の三人の宗教改革者たちの顔が彫られています。左はジュネーヴのカルヴァン、右はバーゼルのエコランパディウス、そして真ん中はチューリヒのツヴィングリです。これは、どのように受け留め止めるべきでしょうか。信仰の偉大な先達を記念し、彼らが大事にした礼拝の意味をその面影から思い起こすことには確かに良い一面があるのかもしれません。しかし、なにも、説教中にそれを目に見える形で示さなくてもよいのでは、と批判的な思いを持たざるをえない、というのが正直な思いです。これらの顔が神の御言を聴こうと集まった礼拝者の視界にちらつくとすれば、それは改革者も望まないことなのではないかと、考えたのです。


 もうひとつ、説教壇の両脇には、旧新約聖書からそれぞれ主題を取った壁絵が大きな位置を占めています。イタリア語圏ティチーノ州出身の芸術家アントニオ・B・カッターネオが、1874年に描いたものです。実に、「聖画像破壊」の宗教改革後、初めてスイス改革派教会の礼拝堂に持ち込まれたフレスコ画となったものです。モーセが十戒の板を民に掲げる左の絵と、イエスが山上で弟子や群集を前に説教する右の絵。その対応関係だけで、旧・新約聖書の関係、特に、第二のモーセと してのイエスによる律法の成就という関係についての聖書の教えを表す、神学的に興味深い表現であり、芸術作品として、美しいものだとも思います。こういった、礼拝堂における芸術の意味をどう評価するかは、現在の改革派教会内でも、意見のわかれるところだと思います。少なくとも、今、改めて、わたしたちの時代の文脈で、礼拝における芸術の可能性について、考えておくことは、必要なことだと感じます。

 最後に、この記事を書くために調べものをしている中で、東北学院の佐藤司郎という先生の文章*から知ったことをご紹介して、終わりとしたいと思います。それは、第二次世界大戦中の告白教会の運動と戦後の影響力によって、しばしば前世紀最大の神学者と言われるカール・バルトが、自身として大戦勃発後最初となる説教を語ったのが、このホルゲンの教会堂だったということです。説教箇所はエフェソの信徒への手紙3章後半**。ひとつの礼拝の場には、今・ここに、歴史の声が折り重なっていることを改めて教えられます。今なおわたしたちの目に訴え、耳に語りかける幾重もの歴史のメッセージを聞きながら、今の時代に、それぞれ立てられる地に、どのような礼拝が必要か、考えて続けていきたいと思わされました。以下、バルトの「時の言葉」の引用***です。

「教会は神から贈られるものをいただくことによって、教会のそのすべての肢々において、まさに今日われわれに必要、かつ救いとなるもの、すなわち、力、愛、知識を受けとります。教会は神から贈られるものをいただくことによって、世に勝つ、いやすでに世に勝った信仰を生きるのです。教会は今日の世界においても希望の場所です。教会自身が世界の生ける希望です。・・・神よ、イエス・キリストにある教会がわれわれの時代にも存在し、成長し、目覚め、目を覚ましていることができるようにしてください。教会は、黄泉の門もこれに打ち勝つことができないという約束を持っているのですから・・・。アーメン。」


** エフェソの信徒への手紙3:14-21… こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

*** 佐藤司郎「第二次世界大戦勃発と告白教会の説教―冷静な現状認識と聖書への集中」(『説教黙想アレテイア特別増刊号 危機に聞くみ言葉』、2011年、62-67頁)に引用された蓮見和夫訳の抜粋。バルトの当時の戦争勃発に関する見解があらわれている箇所は、本記事の主題を超えるので、この引用には載せていない。この主題については、上記ホームページにてダウンロード可能な以下の論文も参照。佐藤司郎、「世界教会とカール・バルト―1938~45年のエキュメニカルな公開書簡を通して―」、『ヨーロピアン・グローバリゼーションと諸文化の変容に関する研究』、2012年、197-209頁。

2013年12月19日

旧約聖書 創世記22章 私訳 (シャガールとペルシャ美術のおまけ付き)


ヘブライ聖書の創世記22章の私訳です。

一. これらの*事どもの後のこと。   ダーバール 前章との関わりcf. Gn15,1
   だが 神(エロヒーム)は試された アブラーハームを。
 
   そして、言われた 彼に
   「アブラーハームよ」

 すると、彼は言った。
   「見よ私はここに」

二. そこで、言われた。
   「取れ、さあ、あなたの息子を
             あなたの独り子―愛する者―を
              イツハークを!    cf. Gn12,1「地、故郷、家」
   そして*行き往け、あのモリヤー(?)の地へ       cf. Gn12,1 
     そして*立ち昇らせよ 彼を そこで 「(燔祭の煙を)捧げよ」の意    
            *燔祭として  原意「立ち昇るもの」=全焼の献げ物 Gn8,20, Lv1-7
          あの山々の一つ―あなたに言うところ―に。」

三. そこで*早く起きた、アブラーハームは その(翌)朝に神の時
    そして鞍置きした 彼の荷ロバに としての早朝Gn19,27; 20,8; 21,14   
     そして取った 彼の二人の若者(男子)らを 彼と共に
               またイツハーク―彼の息子―を。 
      そして行った あの場所に
      ―神(エロヒーム)が彼におっしゃったところに―。 

四. *三日目    cf Gn31,22; 42,18; Ex3,18; 15,22; 19,11; 15,16;Nu10,33; 19,12,19;...
    そして上げた アブラーハームは 彼の目を
    そして*見た あの場所を 遠くに。  モリヤーの語源の一説
                                           「YHは見る」を思わせる? 
五.  そしてアブラーハームは言った 彼の若者らに。
    「*座れ お前たちは こちらに その荷ロバと共に「残れ」の意 
     だが私と *この若者は 行こう あちらまでイツハークの若さ  
     そして*伏し拝み   「礼拝する」の意。cf Gn24,26; Ex20,5; Ps5,8;
     それから 私たちは戻る お前たちのところへ。

六. そして取った アブラーハームは 燔祭の木々を
    そして置いた イツハーク―彼の息子―の上に。   
    そして取った 彼〔自身〕の手に *火を      「火打石」の意か
                    そして*小刀を。   原意「食器具」
    そして行った 彼ら二人は 一緒に。   

七. するとイツハークは言った アブラーハーム―彼の父―に。
    すなわち曰く
    「我が父よ」
    
    そこで言った
    「見よ私はここに、我が息子よ。」

    すると言った
    「ここに 火と木々が。
     けれどもどこに 燔祭の*動物が。」 「羊」か「山羊」等の可能性 
   
八. そこで言った アブラーハームは。
    「神(エロヒーム)が 御覧になろう そのために
                動物を、燔祭のために、我が息子よ。」
    
    そして行った 彼ら二人は 一緒に。
    
九. そうしてやって来た あの場所に
     ―神(エロヒーム)が彼におっしゃったところに―。 

    そこで築いた そこに アブラーハームは 祭壇を。
    そして並べ据えた 木々を 
    そして*縛った イツハーク―彼の息子―を聖書中ここだけの動詞 
    そして置いた 彼を その祭壇の上に
                  その木々の頂に。

一〇.そして アブラーハームは伸ばした 彼の手を  
    そして取った あの小刀を 殺すために  彼の息子

 一一.すると呼んだ 彼を 主(YHWH)の御使いが 天から。

     そして言った。
     「アブラーハーム、アブラーハーム。」 

     そこで言った。
     「見よ私はここに。」

 一二.すると言った。
     「いけない 伸ばしては あなたの手を その若者に。
      いけない しては 彼に対して 何事も。
       実に *今こそ 私は知ったからだ          ´attah
        実に、*あなたこそ                  'attah
          神(エロヒーム)を恐れていると。
      そして あなたは 引き抑えなかった  
        あなたの息子を
         あなたの独り子を 私から。」
      
 一三. そして上げた アブラーハームは 彼の目を
      そして見た 
      否、見よここに、 一頭の子羊!
       これがとられていた 藪の中に その角を。
      そこで取った その子羊を。
      そしてそれを立ち昇らせた  燔祭として
        彼の息子 の代わりに。
      
 一四.そして呼んだ アブラーハームは 
      この場所の名を 
       *アドナイ(YHWH)・イルエーと 「YHWHは御覧になる」の意
     ―今日 言われているとおりである
      「主(YHWH)の山に 幻あり」と―。

 一五.すると 呼んだ 主(YHWH)の御使いが
      アブラーハームを 二度目に 天から   cf. Gn22, 11 
 一六.そして言った。
     「実に、私は私自身にかけて誓ったのだ。  Jer22,5 Heb6,13-14
       ―主(YHWH)の託宣―
      実に、この*事を あなたが果たしたために   ダーバール
       そして あなたは 引き抑えなかった  
        あなたの息子を
         あなたの独り子を。
      
 一七. 実に、祝福もて祝福しよう
      そして、増やしに増やそう
       あなたの*種を 天の星々のように「子孫」:の意
                   cf. Gn 15,5, 26,4, Ex32, 13, Deu1,10, 10, 22, Jer33, 22, Heb 11, 12
       また *海の唇の砂のように。 「海辺」の意 
df. Gn13,16, 28, 14, Num23,10, Jes48,19, Jer33,22, Rom4,18, Heb11,12
テル・アラド(イスラエル)のYHWH神殿。犠牲の祭壇と奥には至聖所(前十~八世紀)
     そして *跡継ぐだろう あなたの種が 彼の敵の門を。
                               新共同訳「勝ち取る」
 一八.そして 祝福されるだろう あなたの種によって
      全ての地の国民が
     実に あなたが聞いたからである 私の声に」。
 
 一九.そこで 戻った アブラーハームは
 彼の若者のところへ cf Gn22, 5                
       そして 彼らは立ち上がり
       そして 行った 一緒に ベエル・シェバへ。  *↓「住む」の意
        そして *座った アブラーハームは ベエル・シェバに。


 二〇. これらの事どもの後のこと。
      アブラーハームに 曰く
     「見よここに、産みました ミルカーもまた 息子らを
        ナーホール―あなたの兄弟の―ために、

 二一.    ウーツ―彼の長男―を
         そして ブーツ―彼の兄弟―を
         そして ケムーエール―アラームの父―を
 二二.    そして ケセドを  
         そして ハゾーを
         そして ピルダシュを 
         そして イドラーフを 
         そして ベトーエールを」。
                                       *↓「(父として)もうけた」の意
 二三. さて、ベトーエールは*産んだ リブカーを。
      これら八人を 産んだのである ミルカーは
       アブラハームの兄弟のために。
  
 二四. 一方、彼の側女で、
        すなわちその名はレウーマー(という者がいた)。
       そして産んだ 彼女もまた 
        
        テバーを
        そして ガハムを
        そして タハシュを
        そして マアカーを。  
        
            
----------------おまけ-------------

くらべてみてください・・。


ユダヤ的イサク奉献(左、シャガール)と
ムスリム的イスマイール奉献(右、15世紀ペルシャ)

うーん、やっぱり兄弟はよく似るものだなぁ?

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私訳 二〇一三年九月六日
改訳 一一月
©schu-hey2013


2013年10月18日

新巻 『カルヴァンと旧約聖書 カルヴァンはユダヤ人か?』 (カルヴァン・改革派神学研究所叢書「改革教会の神学」1) 

2013年10月25日(もうすぐ!)
教文館より カルヴァン・改革派神学研究所編
『カルヴァンと旧約聖書―カルヴァンはユダヤ人か?』が出版されます!
(教文館HP)

2009年、日本キリスト教会カルヴァン・改革派神学研究所の主催で、スイスのチューリヒやドイツ・東フリースラントのエムデンから三人の先生方が招かれ、「カルヴァン生誕500年記念講座(カルヴァン500)」が開かれました。本書はその報告・記録・反響を集めたものです。わたしも、実務委員として関わらせていただいた経緯から、セミナーの準備と研究の報告として、カルヴァンの詩篇解釈に関する一文を書かせていただきました(報告というにはちょっと長くなりましたが…)。個人的にも、「生涯の研究テーマ」となるだろう主題のひとつを与えられたきっかけの講座でした。すばらしい講演をしてくださった先生方、ワークショップに参加し生き生きとした議論をご一緒に楽しんだ出席者の方々、出版のために長く労された研究所と教文館の皆様への感謝を覚えつつ、待ちに待った出版のお知らせをとても喜んでいるところです。

以下 帯より 「2009年にカルヴァン生誕500年を記念して、全国で開かれた講演や説教を収録。現代ドイツ語圏におけるカルヴァン・改革派研究の第一人者が、歴史の深みと信仰の魅力を存分に語る。カルヴァンの旧約聖書解釈の他にも、当時のジュネーヴの出版事情や、教会における音楽や建築、倫理の問題など、多岐にわたる主題を取り扱う。カルヴァンの信仰と思想を現代に受け継ぐための道しるべ。」

以下 目次

はじめに 「カルヴァン生誕500年記念講座」開会挨拶 南純

第1章 「カルヴァン500」へ
1 セミナー報告 カルヴァンと旧約聖書 大石周平

第2章 「カルヴァン500」
1 プログラム
2-1~3 礼拝説教 P.オピッツ/W.シュルツ/A.ラウハウス
3-1 主題講演 カルヴァンの旧約釈義 P.オピッツ
3-2 協力講演(1) 出来事と公共性 W.シュルツ
3-3 協力講演(2) ジュネーヴ詩篇歌と旧約釈義 A.ラウハウス
4 ワークショップ 詩篇46篇と138篇について P.オピッツ
5-1 神学校特別講義 改革教会と旧約聖書 A.ラウハウス
5-2 教文館特別講義 改革教会の教会建築と礼拝にとって持つ意味 A.ラウハウス

第3章 「カルヴァン500」から
1 「カルヴァン500」に出席して 大住雄一
2 カルヴァンにおける礼拝と社会倫理の結びつき 菊地純子

編者あとがき 菊地信光
学術社団「カルヴァン・改革派神学研究所刊行会」規約

以下 帯裏面より
「日本にある教会が、カルヴァンの詩篇理解を知ることで得られる益は大きいと思われる。私たちのこの地での歩みは、具体的な守りと力に囲まれているとは言えず、常に不安定に揺れ動く少数者の群れとしての歩みだと言わざるを得ないからである。カルヴァンが亡命者の唯一の避け所とした神のみ言葉により頼むことは、私たちの文脈でも確認されなければならない。それは、聖書の源泉から溢れるものを汲み出すという喜ばしい仕事を通してのみなされることである。(本文より)」

2013年9月29日

www.karl.landesmuseum.ch より

チューリヒのスイス国立博物館に、カール大帝(シャルルマーニュ)展を観に行ってきました。
行ってみると、たまたま入場無料の日でした。

この有名な大帝、来年死後1200年(!)の記念の年になるそうです。



―感想―

むかしむかし、学校の世界史の授業で触れたことのあるシャルルマーニュ。ヨーロッパの歴史にとって、また教会史にとって、とっても大事な人物だと再確認しました。

偉大な人物が生まれるとき、その背後には、多くの偉大な人たちが関わっているものですが、生年にすでに「大帝」と呼ばれたこの偉大な人物の周りにも、興味深いひとたちが集まっていたことを知りました。特に、聖なる者としての王という神学を展開したというヨークのアルクィンという神学者に関心を覚えました。

また興味深かったのは、シャルルマーニュの死後についての展示です。彼の死後、その存在は理想化され、イメージは膨れ上がり、その「像」で歴史を動かし続けたといっても過言ではなく、その事実は驚くべきものだと思いました。
チューリヒ・グロスミュンスターの
モデルを抱くピピンとカール。
彼らを囲むのは16世紀チューリヒの
教会および政治指導者たちのワッペン
(たとえば、一番左下は
「改革派教会の父」
ブリンガーもの。その隣は
ビブリアンダー。)

個人的には、やはり、わたしが現在住んでいるチューリヒの歴史との関わりに興味がわきました。

特に、チューリヒ・グロスミュンスター(大聖堂)の牧師館のステンドグラス(1551年)の展示には驚きました。そこには、カール大帝と大聖堂の絵があり、それを取り囲むように、ブリンガー、ビブリアンダー、ペリカンなど、宗教改革の指導者たち(第二世代)のワッペンが描かれていました。

チューリヒの「カール伝説」は、「首なし聖人フェリックスとレグラ」の伝説とも絡み合いながら、宗教改革前に既に膨れ上がっていたようですが、その後、宗教改革がこれとどう向き合ったのか、興味を持ちました。

というのも、宗教改革者たちは、「首なし聖人」などの古い聖伝説などと同じように、それと結びついた「世の為政者」の伝説も批判的に見たのだと、わたしはこれまで勝手に想像していたからです。

少なくとも、ツヴィングリの後継者ブリンガーがまだいたころの牧師館のステンドグラスは、その想像とは相容れない、ということになります。そういえば、大聖堂内部の多くの像は聖画像破壊の被害にあっていましたが、カール大帝のレリーフは今も完全な形で残っており、見ることが可能です。

この昔ながらの大帝の理想像は、宗教改革の第二世代でも、ある意味で「政治利用」された側面があったのでしょうか。そうだとすれば、この「聖なる王」が、チューリヒ改革教会における教会と国家の神学に及ぼした影響はあったのでしょうか。。。

どなたか詳しい方に、うかがってみたいと思いました。